よっつめ
└二十六
― 終幕 ―
吹き付ける風がガタガタと戸を揺らす。
これほどの強風では、若干の隙間風でも行燈の火を煽るには充分だ。
薬売りは気だるげに煙管を唇から離すと、細くその煙を吐いた。
彼の目の前には、俯いたままの結がちょこんと正座している。
結とはつい今しがた、旅籠の前の老桜の前で行き会った。
彼女と部屋の外で会うということは、出掛ける前にあれだけ口酸っぱく言った忠告は無意味だったということで。
『………はぁ』
苛立ちと呆れの混ざった溜息が零れる。
なるべく落ち着きを保とうと細く吐いていた煙は、勢い良く広がった。
「…ごめんなさい」
『…………』
何という既視感。
そりゃそうだ、数刻前に同じ会話をしているのだから。
ただひとつ違うのは、目の前の彼女が俯いているのは、先程の様に叱られる事への恐怖ではない。
罰が悪いのもあるのだろうけど。
打ちひしがれた様な憔悴顔が気に掛かる。
だが、全てを取っ払ってそれだけに話を持っていくのも、若干癪だ。
(………)
いつからこんな子供っぽい感情を持つようになったのか。
我ながら驚きとともにがっかりせざるを得ない。
苛立ちの対象が結だけでない事を自覚しながら、煙管をひとつ叩く。
思いの外力が入ってしまったのか、それはコンッと甲高く大きな音を立てた。
結の細い肩もビクッと跳ねるほどに。
『…結』
いい加減、このまま無駄な沈黙を守るわけにもいくまい。
静かに話しかけると、結は「はい」と返事をして俯けていた顔を上げた。
『…私が怪しいものに近付くな、と何度も言うにはそれなりに理由があるんですよ』
「はい…」
『それがモノノ怪だろうが、ただの人であろうが。きっと私は同じく忠告するでしょう』
「えと…人でも、ですか?」
結は少し不思議そうに薬売りをみる。
『…あなたの父親の言っていた"結は神様に愛されているから"』
「…!」
『この言葉の意味が今なら痛いほどわかりますよ』
薬売りは無意識なのだろう、言葉と共に小さく溜息を吐いた。
『近すぎるんですよ、結は』
「近すぎる…?何にですか?」
『簡単に言えば…人ならぬモノ、ですかね』
思い当たる節が多すぎる…といった表情だろう。
結の視線が気まずそうに泳いだ。
―結が幼い頃、彼女の父親は"結は神様に愛されているから、お父さんは心配だなぁ"とぼやいていた。
彼の心配はぼやき半分、本気半分だったろう。
結の目には人に見えないモノが見えていたから。
それは決して結だけに限った特別な能力ではない。
これだけの人間がいて、八百万の神がいて。
そして数多の魑魅魍魎がいる。
これだけの命が行き交う夜の中…
そういったモノに感覚がピタリと合ってしまう人間がいても、おかしなことではない。
彼女の場合、自分が呼び寄せるのと"あちら"から呼び寄せられるのと。
恐らく絶妙な均衡で引き寄せ合っているのかもしれない。
自分の仕事を考えれば願ったり叶ったり。
しかしそれを素直に喜んではいられないのだ。
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