よっつめ
└二十一
(…ん?あれ?)
ここで少し引っ掛かった。
朔さんは最後に逢った時、美津さんに"一緒に来ないか"と言った。
きっと美津さんをつらい生活から救ってあげたかったんだろう。
でも、朔さんが桜の木の精霊だったとして彼はそこから離れられるのだろうか?
(…………)
ぼんやりしている私を横目で見ていた薬売りさんが、小さく溜息を吐いた。
そして溜息混じりにぽつりと零す。
『…断るべきだったな…』
「え?」
『いや…今日行った家がなかなかの家柄でして』
「あぁ、なんかそんな感じでしたね」
『それで今日の御礼に、とご主人に誘われているんですよ』
薬売りさんは珍しく困ったように顎に手を当てた。
そしてジッと私を見ながらまた溜息をひとつ。
『…一緒に来ますか?』
「へ?い、いえ私は…」
『でも一人でいるよりマシでしょう?』
「…………薬売りさん」
何となく歯にものが挟まったような言い方…
無表情ながら、薬売りさんの困惑が手に取るようにわかる。
こう言った時、"飲みに行く"は恐らく"綺麗なお姉さんがおもてなししてくれるお店に飲みに行く"が正しいのだろう。
(…はぁ……)
「あの…私、お留守番してますよ」
『…………』
「大丈夫ですから行ってきてください」
私も少し呆れたような笑顔を浮かべてしまつつ…
薬売りさんは私が真相に気付いていると悟ったのか、ぐっと言葉に詰まったような顔をした。
そして苦々しげに片眉をぴくりと動かし、諦めたようにまたひとつ溜息を零した。
『…本当に大丈夫ですか?』
「大丈夫です!」
『いいですか?今夜は風も強くなってきているし、部屋で大人しくしているんですよ?なるべく早く帰りますから』
「はーい」
『…返事は短く』
ぺちんっ
「いたっ…はい」
叩かれたおでこを摩りながら薬売りさんを盗み見れば、まだ納得して無いという風に眉間に皺が寄っている。
『…なるべく早く帰りますから』
「はい、わかりました」
『本当にわかっているんですか?』
「もー…約束に遅れますよ?たくさんお薬買ってくれた上客さんなんですよね?待たせたら悪いですよ」
薬売りさんは溜息をひとつ零すと、ようやっと襖を開けて一歩部屋を出た。
しかしすぐに振り返り、私をジッと見る。
『…なるべく早く帰りますからね』
「は、はい…」
(…二回言った…)
『…では、いってきます』
「はい、いってらっしゃい」
私の頭をぽんぽんっと撫でると、薬売りさんは小さく笑う。
そして微かに尾を引く溜息と一緒に階段を降りていった。
「…信用されて無いなー…」
急に一人になった部屋に、がっくりと独り言が響く。
薬売りさんの言う通り、強くなり始めた風が窓辺に下がった飾りを激しく揺らした。
雨は止んだようだけど、夕刻に見た空は再び泣き出しそうだった気がする。
外がうるさいのは、強風が木々を揺らしているからだろう。
あの老木はこの風に耐えられるのだろうか…
「!!」
あれだけ言われたそばから、桜の木が木になっているのだから自分でも呆れる。
薬売りさんが信用できないのも無理は無い。
「…お、お風呂でも入ろうかな」
私はわざとらしく声に出して言うと、そそくさと部屋を出た。
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