よっつめ
└十九
「本当に大丈夫ですか?」
旅籠の玄関で、女将さんがご厚意で貸してくれた傘を美津さんに手渡しながら彼女に問う。
でも美津さんはニコリと笑うと小さく頷いた。
「ええ、もう大丈夫。本当にご親切にしていただいて…ありがとうね」
「いえ、そんな…お家まで送りましょうか?」
「ううん!小雨とは言えまだ雨も降っているし、お気持ちだけで…女将さんも傘をありがとうございます」
私のそばにいた女将さんは、
「いいえー!今度こっちに来たついでに寄ってくれればいいですから!」
そう言って手をパタパタと振った。
(…まだ顔色が良くなかったな…)
何度も振り返って頭を下げる美津さんを見送りながら、私はまだ不安な気持ちを拭えない。
少し強くなり出した風が、余計に胸をざわつかせる。
小雨が時折、風に煽られて横に流れた。
「…うーん、どこかで見たような…」
「え?」
ふと女将さんが首を傾げながら呟いた。
私が振り返ると、女将さんは美津さんが歩いていった方を見ている。
「お客さん、あの方とはお知り合いなんですか?」
「いえ、今日初めて会いましたけど…?」
「そうなんですか…うーん…何となく見覚えがあるんですよねぇ…」
考えてみれば美津さんはこの辺りに嫁いでいたのだから、女将さんももしかしたら彼女の姿を見ていたのかも知れない。
(…桜が咲いてた頃の話、覚えてるかな?)
「あの、女将さ……」
『…結?』
女将さんに質問しようと口を開いたとき。
カロンっと高下駄の音が響いた。
「薬売りさん!」
『どうしたんです?こんな入り口で…』
赤い番傘をクルクルと回しながら、薬売りさんは怪訝な顔をしている。
「まぁまぁ!雨の中お疲れ様でした」
女将さんはすぐに仕事の顔に戻って、暖簾を上げながら薬売りさんと私を中に促した。
「おかえりなさい」
『……ただいま』
"出歩くなとは言いませんがあの桜の付近には行ってはいけません"
出掛ける前に薬売りさんに刺された釘を思い出して、何となく彼を真っ直ぐ見られない。
具合が悪そうにしている人を見かけたので助けに行った。
そんな大義名分があるのだから、仕方がないと思うのだけれど…
それでもやっぱりちょっぴりバツが悪いのだ。
「か、傘持ってたんですね!よかった!さーお部屋に戻りましょー」
『…………』
不自然に棒読みになる私の言葉に眉を顰めながら、薬売りさんは私を見ている。
私は薬売りさんの呆れたような溜息を背中で聞きながら、そそくさと部屋に戻った。
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