よっつめ
└十五
夜風に桜がさらさらと舞い散る。
木の下にいる私たちを囲むように落ちるそれは、まるで現実世界とこの場所を隔てる幕のように感じた。
「………」
全てを話しきった私は、いつの間にか興奮していたのだろう。
喉の渇きと、早まる鼓動で胸の苦しさを覚えていた。
彼は少し険しい顔で暗い川を見ていた。
私が話をしている間、彼は一言も喋らずに聞いてくれていて。
かえって私は途切れずに自分の胸の内を吐露できた。
でも、冷静になってみればやっぱり見知らぬ人にこんな話をして良かったものか。
そんな不安が蘇ってくる。
「あ、あの…すみません、こんなお話を……」
―――♪
「え……」
彼は無言のまま着物の袂から笛を出す。
そして軽やかに音色を奏ではじめた。
(あ…綺麗な音色…)
音楽の嗜みなどないけれど、その笛から聴こえてくる音色はとても美しく。
じんわりと心に沁みるような音色だった。
耳に響くたびに心が軽くなるような不思議な感覚。
さっきまで打ちひしがれてボロボロに毛羽立った心が、撫で付けられていくような…
とても優しさに溢れている、そんな笛の音。
「……娘、名は何と言う?」
「あ、み、美津です」
うっとりと聴き入ってしまって音色が止んだことさえ気付かなかったらしい。
声を掛けられて、ハッとした。
「美津、明日もここへおいで」
「え……」
「我は朔(さく)と言う。美津、明日も明後日も、いつでもここへおいで」
「朔、さん…」
「さぁ、今夜はもうお帰り。寄り道にしては少し長すぎる」
「あ…!は、はい!」
私は自分が使いの途中だったことを思い出し、慌てて朔さんに頭を下げた。
朔さんは軽く手を挙げて微笑むと、また桜の木の向こうに消えて行った。
(…そう言えば、役者さんならいつまでここにいるんだろう?)
暗い道を早足で戻りながら、ふとそんな事を考える。
でも、それ以上に…
"いつでもここへおいで"
「…ふふっ」
朔さんの言葉が嬉しくて、くすぐったくて…
憂鬱な帰路のはずなのに、私の足取りは軽かった。
もちろん、帰った私は貴臣に酷く罵られたけれど。
そんな事もどうでもいいと思えるくらい、心は穏やかで。
(また明日も行ってみよう…夜遅くになってしまうかもしれないけれど…)
いつもとは違う胸の苦しさに、私はこっそりと頬を緩めた。
―今思えば、きっとこれが私の初恋だったのだ。
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