ひとりじょうず | ナノ




第四章
   └八



「僕達の実家は、もともとは豪農でね」



卓袱台にお茶を置きながら、ふと藤次さんが話し出す。




「でも段々と…まぁ没落していって、本当は時期当主にあたる一人息子の僕が立て直すべきだったんだ」

「農業を継ぐということですか?」

「そう、でも僕はそれを受け入れなかったんだ」



何かを思い出すように、藤次さんは遠くを見つめている。




「僕は幼い頃から、人形師になりたくてね。何度も父や母と衝突しながらも、僕は我を通したんだ」

「…お家を…出たんですか?」



藤次さんは黙って頷いた。





「…一人息子の我侭を通した結果が…この有様だよ」

「え…?」



視線が市子さんの部屋に続く障子にうつる。




「ある日急に父に『もういい』と言われたんだ。僕は訳がわからず…ただ単純に自分の思いが伝わったんだって思ってた。でも…」



藤次さんはキュッと下唇を噛んだ。




「違ったんだ。父は市子を…市子を地主の元に嫁がせると言い出した」

「え…」

「その地主はね、農耕地をたくさん持っていたんだ。父はその土地を手に入れて農業の立て直しを目論んだんだよ…市子を差し出すことによってね」





そんな…


私は言葉を発することが出来なかった。




「その頃の市子は結さんよりずっと年下で…嫁ぎ先の地主はもう四十を過ぎた男だった。…僕は父に猛抗議したよ。でも父はもう決まった事だと…家を継がない者に覆す権限は無いと…っ」




だんっ



「と、藤次さん…」





乱暴に卓袱台に置かれた湯飲みから、お茶がこぼれた。

まだ残っているお茶が湯飲みの中で揺れている。



でも、藤次さんはそんな事気にも留めず、再び遠い目をして話を続けた。




「僕のせいだ…可愛い、たった一人の妹なのに…」

「で、でもそれなら今…市子さんと藤次さんが一緒にいるのは…」




私の疑問に、藤次さんはにっこりと笑った。

その笑顔がなぜか薄ら寒く感じられて、私は無意識に息を飲んだ。




「…市子が嫁ぐ前の夜に、僕は市子の部屋に行ったんだ。市子は目に涙をいっぱい溜めて僕に言った…」







「兄様…市子は……市子は兄様の夢を応援しています。きっときっと素敵なお人形をたくさん作ってね」

「でも…兄様………」




「市子は…兄様と離れたくありません…」









「…僕達はほとんど荷物も持たずに家を飛び出した。二人だけで…兄妹二人だけで生きていこうと決めたんだ」

「…………」




少しの沈黙の後。

藤次さんは、最初に見た柔和な笑顔を浮かべて私を見る。




「もちろん…実家にいた頃のような贅沢な暮らしはさせてやれないし…箱入り娘だった市子にはつらい生活だったと思うよ。家を出て少ししたら体を壊してしまってね。何とか薬代は稼げているけどね」



困ったように笑う彼の姿に、胸が締め付けられる気がした。





「でも…とても思い合ってるように見えました」

「そう…。そう言ってもらえると救われるなぁ」

「藤次さんは市子さんをとっても大事に思っているし、市子さんもきっと藤次さんのこと頼りにしてますよ」



藤次さんは目頭を押さえながら、俯いた。




「今日は本当に嬉しいよ…結さんと話している市子の表情を見たら…」

「そんな…私もこんなに可愛いお人形をたくさん見られて嬉しかったし、市子さんもお人形さんみたいで本当に可愛らしかった!」

「あはは、それは兄としても人形師としても喜ばしいなぁ」



私は、藤次さんの表情から険しさが消えて、少しだけホッとした。




きっと藤次さんは市子さんのために、市子さんを思いながらお人形を作っているのだろう。

並んだたくさんのお人形は、どことなく市子さんに面差しが似ているような気がした。






「今までもね、何人か市子の話し相手になってもらえたらって連れてきたことがあるんだ」



私は頷きながら、少しだけ冷めてしまったお茶を飲んだ。





「でもね、どうも市子の事が気に入らないみたいで…」

「そうなんですか…」

「僕もがっかりしてしまって…しかもその子達、みんな同じ反応をするんだ…」

「………?」

「市子を見て悲鳴を上げて…失礼だし酷いと思わないかい?」





藤次さんは俯いていた顔を上げて、私を見た。


どよんとしたその目の色に、ぞくりと寒気が走った。






「市子が可哀想だと思って、物言わない人形にしてしまったんだ」




ニタリと藤次さんの唇が歪む。






「……ぁ……っ」




それとほぼ同時に、私は舌に違和感を感じた。




(な、何…これ…っ!?)



「ふふ、ごめんね。大丈夫、毒なんかでは無いから…少し痺れるだけだよ」






がっちゃん!




段々と腕の力が抜けてくる。

私は手にしていた湯飲みを畳に落としてしまった。




「結さんはとてもいい子だから、きっと市子のいいお友達になれるよ」

「………っ」





喉の奥が痺れて声が出ない。

とうとう体の力が抜けて、私はそのまま畳に倒れこんだ。



藤次さんは、嬉しそうに柔らかい笑顔を浮かべて、そんな私を見ていた。

三ノ幕に続く


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