第三章
└十八
そして扇屋…――
「本当、結ちゃんの言うとおり元気になってよかったわねー」
「お世話になりました!」
結の握ったおにぎりを薬売りの部屋に運びながら、絹江は弥勒の様子を見に来た。
薬売りは和気藹々と笑顔を交わす二人を、煙管を吹かしながら眺めていた。
「そういえば、弥勒くんは結ちゃんのお友達なんですって?」
絹江の質問に、弥勒は慌てて口の中のものを飲み込む。
「はい!いつも一緒にいたんです。ずっと結のことを探していました」
「へぇ…」
「やっと見つけたんです。だからこれからは俺が結を護ります!」
感心したように声を漏らすと、絹江はちらりと薬売りを見た。
一瞬目を合わせた薬売りと絹江は、にこりとお互いに白々しい笑顔を交わしてまた顔を背ける。
「それに、ほら、アイツ」
苦々しい顔で弥勒が薬売りを顎で指した。
「アイツが結に意地悪しないように監視してないと!」
「まぁぁぁ!!賛成、ううん大賛成よ!」
妙に盛り上がる二人に、薬売りは呆れたような視線を向ける。
「本当、素直でいい子だこと!誰かさんと違って!」
『……っ!』
薬売りはゴホっと煙を噴出した。
絹江は薬売りのほうに近づくと、声を潜めて話しかける。
「…ヤキモチ妬かせようなんて、案外子供っぽい事したりするのねぇ、薬売りさんも!」
『ごほっ!』
薬売りが再び咳き込むのを見て、絹江はニヤリと笑みを浮かべた。
「あんな純粋な子、真に受けて落ち込むに決まってるでしょ!まったく…」
なんだか長引きそうな絹江の小言に、薬売りはうんざりと言った表情。
「ちょっと、何ですかその顔は。昨日のあの子の悲しそうな表情見たらね、小言の一つや二つ…」
熱くなる絹江を、薬売りは手で制した。
『…わかってます。思い知りました。嫌と言うほど、ね』
薬売りはそう言うと、ふっと目を伏せた。
『…あんな顔は…二度と見たくないですからね』
ふぅっと息を吐くと絹江は、穏やかな笑顔を浮かべる。
「…わかればいいんですけどね。もし今度やったら、問答無用で結ちゃんはこの部屋に戻しませんからね!」
『ふっ、絹江さんは本当に手厳しい』
「当たり前でしょ!」
絹江は勝気な笑顔を見せると、そのまま部屋を出て行った。
「元気な女将さんだなー、それにすげーいい人だ」
弥勒は絹江の閉めた襖を見ながら、頷きながら言う。
『…怒らせないほうがいいぞ』
「は?怖いのか?」
『…そこらの魑魅魍魎が可愛く思えるくらいな』
「…うへぇ…」
薬売りの言葉に、弥勒はぶるっと身を震わせた。
「ただいま戻りましたー」
襖が開いて、今度は結が顔を覗かせた。
「おう、お帰り結!」
弥勒はおにぎりを頬張りながら、結を迎え入れる。
『…誰の部屋だと思っているんだ、このバカ烏』
「ちょ、薬売りさん…!」
迷惑そうに眉間に皺を寄せる薬売りを結が宥めた。
弥勒はそんな薬売りを見ながら、最後のおにぎりを慌てて食べると、立ち上がってビシッと薬売りを指差した。
「俺、今日から結を護るために一緒にいることにしたから!」
「えぇ!?」
結の驚きの声とともに、薬売りはますます不快感を露わにした。
『…誰が烏なんかをこの部屋に入れるか。それより人を指差すな』
薬売りの吐いて捨てるような物言いに、弥勒は不敵な笑みを返す。
「ふん!誰がお前の世話になんかなるかよ!本当は結を朝から晩まで近くで見守りたいけどさ。でも傍でずっと見てるからな!」
「あ、ありがと…でも弥勒くん、どうやって…」
弥勒は結に向かって両手を広げた。
「俺が誰だか忘れたか?」
ひゅんっ
「あ…っ!!」
弥勒の両腕が風を切ったかと思うと、弥勒の背中に、それは見事な漆黒の翼が現れた。
「な?立派になったもんだろ?」
自慢げに笑う弥勒を、結は目を丸くして見つめていた。
『…半妖か』
薬売りは、つまらなげに呟くと煙管の煙を燻らせる。
「へっ!これでもう結をいじめさせないからな!結、こいつにいじめられたらいつでも呼べよ?すぐに助けに来るからな!」
「う、うん…」
『何を律儀に返事をしてるんですか、馬鹿者が』
「う…ごめんなさい…」
冷めた視線を投げる薬売りを睨むと、弥勒はひゅんと飛び上がった。
「わ……!」
「カーッ」
一瞬にして烏の姿になった弥勒に結は思わず拍手をする。
『…魔術や奇術じゃないんですから』
心底呆れたように薬売りは呟いた。
弥勒は部屋を一周旋回すると、そのまま窓の外に飛び立っていった。
そして近くの木に止まると、一声鳴いて翼を広げる。
「すごい…やっぱり本当にあの丘の烏さんだ…!」
無邪気に手を振る結を横目で見ながら、薬売りは面倒そうに溜め息を吐いた。
そして、煙管をコツンと叩く。
『…まぁ、彼には聞きたいことが山ほどありますから、ね』
「え?」
薬売りを振り返る結に、微笑むと
『…こっちの話です』
そう言って再び煙管を咥え、細く煙を吐き出した。
首を傾げる結は、再び窓の外を眺める。
「…賑やかになるなぁ」
薬売りの考えがわかるはずもなく、暢気な結の呟きは煙と共に風に乗って消えていった。
― 第二章・了 ―
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