第二章
└十一
「はぁっはぁっ…く、薬売りさん…っ」
『もたもたしないでサクサク走りなさい』
「は、はひ…!」
すっかり夜になった町を、私と薬売りさんは走っていた。
――さっき、私が薬売りさんと話した時のこと…
「…と、言うことがありまして…痛っっ!!」
薬売りさんが怒りに満ちた目で見下ろしながら私の頬をつまんだ。
『なぜもっと早く話さないんです』
「いひゃ…っひゃ、ひゃって怒られるとおほっへ(いた…っだって怒られると思って)」
『結局面倒に巻き込まれてるじゃないですか』
「いいぃぃっ!!!」
ぴっと薬売りさんが私の頬から指を弾いた。
私はヒリヒリと痛む頬を擦りながら薬売りさんを見やる。
何か考えているのか、薬売りさんは窓の外に視線を投げていた。
「…あの、正直に話していたらきちんと聞いてくれてましたか…?」
『…当たり前でしょう。きちんと聞いた後にお説教です』
「あ…どちらにしろ叱られるんですね…」
『…何か言いましたか?』
「い、いえ!…ところで薬売りさんはどうして義國さんを?」
私の質問に、薬売りさんは溜息を吐きながら視線を私に戻す。
『最近、毎日行っている西通りの屋敷があるでしょう。そこに少し前から足繁く通う男の名が"義國"だと聞いたのです』
「西通りのお屋敷に?」
薬売りさんは無言で頷いた。
『…私が毎日行っているという事は…意味はわかりますね?』
「は、はい…」
『あそこの女主人にはモノノ怪が憑いています。恐らく…運んできたのはその義國という男…』
「よ、義國さんが!?」
『あの男が裏で何をやっているか知っていますか?』
義國さんが裏で何を……
私の心臓がドクドクと嫌な音を立てる。
朝、美園ちゃんから聞いた話が何度も脳裏を掠めた。
『…あの男は優しい顔をして女性に近づいて…』
「………」
『売り物にしてる』
「っ!!」
『恐らく女郎屋か…"女中"という名目で買っていく金持ち相手に』
どくんっ
「…はぁ…っ」
胸が苦しい。
心臓が軋むように痛い。
『…結?』
目の前が暗くなる。
―お前は私のものだ…
どくんっっ!
「あ…い、や…だ…っっ」
『結!!』
目の前の闇が濃くなって、気を失うと思った寸前。
「…く、すりうりさ…」
私は薬売りさんの腕の中にいた。
ギュッと抱えられた胸から薬売りさんの鼓動が聞こえる。
『……………』
(心地いい…)
だんだんと上がっていた呼吸が落ち着いてくる。
私は薬売りさんの袂をキュッと握りしめ、ぐっと腕に力を入れて彼を見上げた。
『結…』
「薬売りさん…美園ちゃんが…美園ちゃんが危ない…!」
――こうして今、薬売りさんと町を走っているのだ。
(薬売りさんは扇屋で待っていろって言うけど…)
もし、薬売りさんの言っていた話が本当なら、美園ちゃんの身が危ない。
義國さんの今夜の呼び出しが、そういう目的なら…
(そんなのジッと待ってなんていられない…!)
『今夜話をつけるのだとしたら、恐らく西通りの屋敷でしょう。いつもは早く帰ると言うのを渋る主人が、あっさりと私を解放しました。あの屋敷自体が義國が目を付けた女性のやり取りの窓口になっている可能性が高い。あそこなら客を信用させるには十分でしょうから』
さっきの薬売りさんの言葉が、私を余計に焦らせる。
(美園ちゃん…無事でいて…!)
通りの角を曲がると、やがて目の前に生垣が見えてきた。
暗くてよく分からないけれど、その奥に立派な屋根が見える。
(ここが…!)
『…結、私の後ろにいなさい』
門の前で足を止めた薬売りさんが、私をかばうように前に立った。
「はい…!」
私は上がる息を整えながら、祈るような気持ちで薬売りさんの背中越しに聳え立つ門を見上げた。
ドンドンッ
薬売りさんが門を叩くと、程なくして門番が覗き口から顔を覗かせた。
「おや、薬売りの旦那…一体どういった…」
『お館様へどうぞお取次ぎを。本日お渡ししたお薬にどうやら手違いがあったようで…』
(う、うわ…)
胡散臭いくらいの作り笑顔を浮かべる薬売りさん。
「!!」
私の視線に気づいた薬売りさんが振り返りながら無言で睨みつけた。
(ご、ごめんなさい…)
「そりゃ一大事だ!今、門を開けます」
私が肩を竦めていると、重い音を立てながら門がゆっくりと開いた。
すたすたと慣れた様子で薬売りさんが屋敷の中に入っていく。
私もそれに足早に続いた。
「あ!ちょっと後ろのお嬢さんは!?」
ぎくっ
門番の声に思わず足を止めた。
しかし薬売りさんはグッと私の腕を掴んで引き寄せると、
『彼女は私の助手です』
そう言ってにっこり微笑んだ。
薬売りさんの笑顔に面食らったのか、門番は毒気を抜かれたようにへらっと笑う。
「いやそうでしたか、失敬失敬」
「あ、こ、こんばんは!お邪魔します!」
『…では』
「あ、ちょ…」
ぺこりと頭を下げる私の腕を引いて薬売りさんはずんずんと進んで行った。
『…律儀に挨拶などしてる場合じゃないでしょう、この馬鹿者』
「だ、だって…ぶっ」
薬売りさんがとある部屋の前で急に立ち止るものだから、私は勢いあまって薬売りさんの背中にしたたかに鼻をぶつけてしまった。
「いたた…」
『…ここです。入りますよ』
言うや否や、薬売りさんが勢いよく部屋の襖を開けた。
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