ひとりじょうず | ナノ




第二章
   └十



― 四ノ幕 ―

傾きかけた太陽が町を橙に染める。

寝床に帰るのであろう烏たちがカァカァと鳴きながら山の上を目指して飛んでいく。



美園ちゃんは大丈夫だろうか…



私は扇屋の窓から暮れていく町並をぼんやりと眺めていた。





―あれから心太くんはいつもの様に、疾風の如く姿を消してしまった。

そして私は何度も御茶屋に行こうと思っては、その足を止めた。





「…はぁ…」


もう何度目かもわからない溜息に、天秤さんがゆらゆらと揺れる。



「ねぇ、天秤さん…やっぱりこういうのって本人同士が話し合うのが一番だよね?」



天秤さんが窓際でくるりと一回転した。



きっと、美園ちゃんならしっかりと義國さんと話し合ってくるだろう。

あの夜見たのが本当に義國さんなのか…




「…思い出すだけでむかついてくる…!」



そして、義國さんの真意は何なのか。





「…………」



何だか、胸がざわざわする。




チリン



天秤さんが傾きながら小さく鳴った。




「ふふ、大丈夫、心配かけてごめんね」




きっとこの胸騒ぎは美園ちゃんへの心配だけじゃない。




(心太くん…)





あの燃えるような瞳。

ギリギリと音を立てそうなほどに食いしばった歯。



私の背中に冷たい汗が走った。

夕暮れの色彩が、何故だか余計に不安にさせる。





「…薬売りさん」



早く、早く帰ってこないかな…





リリリンッ




「…?天秤さん?」

『…随分と仲良くなったみたいですね』

「――!」



私は勢いよく声の元に振り返った。




「薬売りさん!」



そう言えば今日は早く帰るって、絹江さんも言ってた…!

薬売りさんは小さく笑うと私の隣に腰掛けた。




「お帰りなさい」

『…ただいま』



胸のざわつきがだんだんと凪いで行く。




(あぁ、私……)




きっと、この不安な気持ちを薬売りさんに聞いてほしかったんだ…

薬売りさんの姿を見て、そんな事を思った。




『…で、今日は何をそんなに物思いに耽っていたのです』

「え……っ」




どうしようか。


いざ話してしまおうと思うと、それはそれでまた決心が鈍るものだ。




「えーと…あのー…ですね」

『………………』




薬売りさんの冷ややかな視線が私を刺す。

業を煮やしたように、薬売りさんは溜息を吐いた。





『今日もだんまりですか』

「……そんな…っ」

『…いいんですよ…はぁ…結が隠し事…』

「う…っ」




さも悲しげな視線を窓の外に投げる薬売りさん。




「あ、あのですね!!」

『………』

「く、薬売りさん!もしですよ?もし、言葉をかけられない相手に恋をしたら、その気持ちをどう伝えたらいいんですか?」





……あ、あれ?

私、何を口走っているんだろう?




正直に伝えるべきか否か、そして何から伝えたらいいのか。

そんなことが頭を駆け巡っている内に、口をついて出てきたのがこの質問。





『…はぁぁ?』



眉間に皺を寄せた薬売りさんが私を睨む。

そんな彼を見てやっぱり突拍子もない質問だったのだと気づいた。





(で、でも…)




実際、心太くんはそんな状況なのだ。

もしかしたら助言できるかもしれない。




薬売りさんが大きく息を吐いて私に向かい合った。

そして不意に私の手を取る。



「………っ!」

『…いいですか?』



薬売りさんの不思議な色彩を帯びた瞳が、じっと私を見つめる。




(う、わ……)



ドキンッ



こんな瞳、見たことない…




ドキンドキン




握っていた私の手を、薬売りさんが口元に引き寄せる。





ドキンドキンドキン






私は全身を駆け巡る熱に眩暈がしそうになりながらも、彼から視線を外せないでいた。




『ただ…こうして手を優しく握って…相手の目をじっと見つめるんです』

「………っ」

『そうすれば、伝わってくるでしょう?』

「な、何がですか……」




薬売りさんは私を見つめたまま、すっと顔を近づける。




『私の瞳から…私の気持ちが…』

「く、薬売りさんの気持ち…?」

『……あなたが、好きです』




薬売りさんの空いた手が、私の顎をそっと持ち上げた。




(あ………)



薄く開いた彼の唇がゆっくりと近づき、私は反射的に目を瞑った。





チリンッ!!



「!!!!」





天秤さんの鈴の音を聞いて、ハッと我に返る。

薬売りさんは私の目の前で、忌々しそうに天秤さんを睨んだ。




『……ちっ』



(し、舌打ちですか…)



『いい度胸ですね…』





薬売りさんが天秤さんに手を伸ばす。



「あぁ!」


これから天秤さんの身に降りかかるであろう恐怖を即座に想像して、私は天秤さんを懐にしまった。




『…………』

「あ、ありがとうございます!とっても参考になりました!!」

『…ふぅん。そうですか』






わ、私ってば私ってばーーーー!!!

心太くんの為に聞いたはずなのに、自分が照れてしまっては意味がないじゃない!





(…………)



ドキンッドキンッ…





心臓の音が自分の耳に響く。

薬売りさんのあの瞳が、私の全身を熱くさせる。





(どうしよう…私…)


「…あいたぁ!!」




薬売りさんが私の耳をギュウッとつまんだ。

不機嫌そうな眼差しで私を見下ろす。




『結局なんだったんですか』

「い、いたたたた…!」

『………誰か好きな…』




薬売りさんはそう呟くと、私の耳から手を離した。




「え?今何て…」

『何でもありません』

「????」





よくわからないまま、ふと窓の外を見る。

橙だった空はいつの間にか濃紺の夜空に変わろうとしていた。




「…美園ちゃん、そろそろ義國さんに会ってる頃かな…」

『…義國?』

「え……いたっ!」



義國さんの名前を聞いたとたん、薬売りさんが私の顎をつかんだ。





『結、どうして義國を知っているのです?』

「いた…薬売りさ…爪…!」

『どうして知っているのかと聞いているんです』




顔色を変えた薬売りさんが、ギリギリと私の顎に爪を食い込ませる。




「わ、わかりました、ちゃんと話しますから…!」




ただ事ではない雰囲気に、私は美園ちゃんや心太くんの話をする決心をした。


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