ひとりじょうず | ナノ




番外章(六)
   └十三



ビャクを乗せて、夕暮れの空を走った。

特に会話も無く、でもビャクは鼻歌混じりに景色を眺めている。


そして一点を見つめると、スッと指差した。



「あ、ベニ。あそこの川原に下りよう」

「えっ?」

「ほら、早く!休憩、休憩」



俺は指示のままに、ゆっくりと川原に降り立つ。




「うわ………」



そこは咲き乱れる桜の花でいっぱいで。

夕陽の橙に輝く川面と、薄紅の花弁がまるで夢の世界のようだった。



「この辺りはもう桜が咲いてるんだね」

「うん…ビャクの方は?まだ?」

「そうだね、もう少し、かな?」



ビャクは川の水で顔を洗うと、気持ち良さそうに伸びをした。

俺も少し水を飲んでジッとビャクを見る。



「あの…ビャク…」



重い口を開くと、ビャクは不思議そうに俺に視線を向けた。




「さっき、どうしておれをなかまからたすけてくれたの?」

「……どういう意味?」

「だって…おれもいぬがみだし…」



ビャクは溜息を吐きながら俺の目の前に立った。

そして腰に手を当てながら俺を見上げる。



「…何?迷惑だった?」

「そんなこと…!おれ…たぶんあのままだったら、たちあがれないくらいにおちこんでたとおもう」

「正直、どうしてあそこまで言われて言い返さないのかイラッとしたけどね」

「う………」



俺を見るビャクの目が、ちょっと険しくなった。



「だって、なかまのいってたことはほんとうなんだ!おれはよわむしだから…にげたんだもん」

「……はぁ…っ」

「う…ビャク、あきれてるでしょ…」

「呆れもするよ。君はどこまで後ろ向きなんだ」



橙と桜色の光がビャクの白銀の髪に透けて輝く。

ビャクは真っ赤に燃えるような瞳で俺を見据える。


心を見透かされそうで、ちょっとだけ身構えてしまった。



「…ベニは狗神と人間の関係に疑問を持っていたよね?」

「う、うん」

「僕は君だからこそ疑問を持てたんだって、思ってるよ」

「え?」

「…人間ってさ。たぶん僕達が思う以上に弱いんだ。だから自分を保つために、誰かを下に見る」

「…………」



ビャクは少しだけ寂しそうに笑って続ける。




「狗神が生まれた源は、もちろん知っているでしょ?」

「うん、じゅじゅつのため…だれかをのろうためにつくりだされたって、きいた」

「元々…呪術を使ってた人達は、酷い迫害に遭ってたって聞いたことあるよ」

「はくがい?」

「そう。同じ人間でありながら、他の人達より格下であることを強いられてきたって事。本人達からしたら、理不尽極まりなかったろうね。恨みを持って呪ったとしても不思議じゃないよ」

「…ひどいね…なんでそんなことするんだろう」

「…安心するんだろ?自分より劣った存在がいると。もちろん私利私欲で呪術を使った奴等もいるんだろうけどさ」




辺りを染める夕日が、何だか無性に悲しく感じた。


あの狗神憑きの家も、かつてつらい思いをしてきたのだろうか。


人里離れた山奥で、隠れるように暮らして…

苦肉の策に、狗神を創り出した。


だとしたら、何て悲しい契約なのだろう。


でも、それでも俺は…



「…僕が君の味方をしたのは、君が疑問を持つ心の持ち主だからだ」

「え…?」

「あんな酷い事をしてまで、人間の得たい富って何だろうって思ったんでしょ?」

「うん…だってだれだってかまれたらいたいでしょ?みよはまだちいさなこどもだし…」



ビャクは少しだけ目元を和らげた。

そして「だからだよ」と呟く。




「紅星、君は痛みを知ろうとしているから。そして君自身、虐げられる痛みを知っているから。だから僕は君を助けたんだ」

「いたみを…しる?」

「そうだよ。狗神との契約は、先を考えたら悪いとは言い切れない。でも、君は瞬間を思ったんだ」

「しゅんかん…」

「狗神に噛まれ、人間が"自分を棄てる"瞬間の痛み」



俺とビャクの間を、小さな花弁がふわふわと通り過ぎていく。

ビャクの言葉を聞いて、自分の中でもやもやと渦巻いていたものがストンと落ちた気がした。


狗神と人間の契約が不思議だった。

でも同時に、狗神が取り憑いた後、元の人間はどこに行ってしまうんだろうって。


仲間に噛まれたあの男の子は、たぶんもう中身は狗神なんだ。

じゃあ、あの子は体だけ残してどこに行ってしまったんだろう…



それを考えると、たまらなく怖かった。


そんなの、生きながら死んでいるのと変わらないじゃ無いか。



人間でありながら、怪(あやかし)達と変わらないじゃ無いか…




「…君は君の疑問を大事にすればいい」

「ビャク…」

「僕だって、鬼ってだけで逃げられるんだよね。何も悪い事してないのにさ」



ビャクは肩を竦めると、戯けたように溜息を吐いた。



「まぁ…いいんじゃない?たまには気弱で優しい狗神がいてもさ」



そう言ってビャクは俺に向かって笑う。

その顔があまりに清々しくて、俺もつられて頬が緩んでしまった。


ずっと誰にも"そのままでいい"なんて、言われないと思ってたから。

誰かに理解してもらうことが、こんなにも嬉しいことだなんて思ってなかったから。




「…うん!なかまには、またバカにされるかもしれないけど…」

「………あのさぁ」



浮かれた俺を見て、ビャクが眉を顰めた。

そして。




「いだっ!!」



俺の両頬をびよーんと摘む。




「さっきから気になってたんだけど」

「いだいー」

「あいつ等を"仲間"って呼ぶのやめなよ」

「ふぇ……」



ビャクはびよびよと頬を伸ばしながら続けた。



「ベニ、君だって虐げられてた一人じゃないか。狗神ともあろうものが人間みたいに下劣な事してさ」

「うう〜〜」

「あんだけ馬鹿にされて何が仲間なの」

「ひゃ…ひゃって…」

「だってじゃないよ!ベニ、君は仲間を選べるんだ」

「……!」




両手を静かに離すと、また赤い瞳で俺をジッと見る。

そしてその強い眼差しとは裏腹に優しい声音で言った。




「居場所がなくなるのが怖い?」

「え…っ」

「一族を抜けて一人になるのが寂しい?」



ビャクの射抜くような視線に、どくんっと心臓が跳ねた。

でも、ビャクは変わらない声で続ける。



「…君が望むなら、あげる」

「…え……?」

「紅星。君がひとりぼっちにならないように、僕が君の居場所になってあげる」




耳に届くのは、川のせせらぎと花の揺れる音。

そして沁み込むような、ビャクの声。




「…居場所も、仲間も。僕が君にあげる」




沁み込んで…解けて…

温かい、ビャクの声。




「…うわ……っ!?」

「…っぅく…」

「ちょ…涙…!?降ってくるじゃんか!」

「うわーーーーーん!!」




…一族から逃げたからって俺が狗神じゃなくなる訳じゃない。

この血が浄化される訳じゃない。


でも、これからは、きっともう少し自分を好きになれる気がする。


ビャクのために。

ビャクのために、もう少しだけ、自分に自信が持てる。


そんな気がした。





「もう!いい加減泣き止みなよ!」

「うっぐずっ…うぅ…っ」

「あ…そう言えば」



いつまでもべそをかく俺に呆れながら、ビャクはポンッと手を打った。




「言うの忘れてた、みよって子の事」

「!!」

「僕が覗いたときにそれらしい姿は見なかったけど…」

「え…っ」

「噂話なら聞いた」

「なんて!なんて!?」

「落ち着きなよ…鼻水飛ぶじゃん…」




ビャクは立ち上がりながらグーッと伸びをした。

そして優しい目で川の流れを見つめる。




「…あの家から、一人の女と子供が姿を消したって」

「……!」

「もう探すのは諦めるみたいなことを言ってたよ、年取った爺さんが」



(……それって…きっと…!)



「さ、ベニ、日が暮れちゃうよ」

「…うん」

「帰ろうか」

「うん!」



赤に近い橙に染まる空を、二人で見上げる。

桜の花弁も、紅色に染まっていた。




「……今日は逢えるかな…」



ふと、ビャクが隣で呟いた。

夕陽に細められた目は少しだけ寂しそうに揺れていて。




「……?」

「よし!帰ろう!」



俺は何も聞けないまま、ビャクと二人、茜色の空に舞い上がった。



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