番外章(六)
└十二
自分がどうやって立っているのか、ハッキリとはわからなかった。
全身から血の気が抜ける感覚。
まるで大きな沼地に立たされているようだ。
「でっでも…っこどもはかんけいないじゃないか…」
込み上げそうな涙を堪えながら、仲間に言い返した。
裏返って上ずる声は、頼りなくて情けなかった。
「…お前、この前の子供がこれから先どうなるか知ってるか?」
「え…っ」
「狗神ってさ、個人に憑くわけじゃないんだぜ?」
「そのくらいわかって………っ!」
言いかけてハッとする。
―そうだ、狗神は家系に憑くんだ。
だから…例えみよが狗神憑きから逃れたからって…
「あの子供はどこに行ったってどんなに隠れて生活したって、狗神筋からは逃れられない」
「しかも憑依もされなかったんだ。きっとこの先、幸せなんて掴めないだろうな」
「あ………」
あの日、自分が逃げた事の重大さを、今になって思い知った。
俺はみよを噛めなかった。
みよに痛い思いをさせたくなかったから。
あの小さな体に牙を立てるのが、怖かったから。
でも、みよの今後の生活は何も得られないかもしれない。
「…お前のせいだ」
ぽつり、呟かれた。
「お前が落ちこぼれなせいだ」
「あ……」
「お前があの子供の未来を奪ったんだ」
堪えていた涙がぼろぼろと落ちる。
どうにか突っ張っていた後足から力が抜けるのがわかった。
「あぁあぁ。可哀想に」
「お前のせいだ」
「お前のせいだ」
「弱虫」
「弱虫」
仲間の声が代わる代わる俺の耳に木霊する。
震えだした体は言うことを聞かず、ガタガタと揺れた。
「や、やめ……」
「落ちこぼれ」
「恥さらし」
「ごめ…ごめ…なさ…」
「お前のせいだ」
「 お 前 の せ い だ 」
―目の前が真っ暗だ。
俺が心に密かに持ち続けた、自分の血への疑問と反骨心は、小さな可愛いあの子の未来を奪った。
俺のせいだ…
「…へぇ、狗神って噂どおり陰鬱なんだなー」
地面に減り込んでしまいそうなほど落ち込んだ俺に、暢気な声が届く。
それと同時に、目の前に白い影が舞い降りてきた。
「ビ、ビャク……」
ビャクは俺に背を向けたまま、ジッと仲間のほうを見ている。
その表情はわからなかったけど…
睨んでいるのか、笑っているのか。
仲間がたじろいで後ずさりする姿が見えた。
「お、鬼…!?」
「何でこんな所に…」
戸惑いながらも仲間が牙をむく。
真っ赤な口から覗く、ギラッと光る牙に我に返った。
「ビャク!だめだよはなれて!」
ビャクまで…ビャクまで噛まれたら、俺はきっと立ち直れない。
俺は涙目になりがら必死にビャクを止めた。
でも、ビャクは振り返らないまま、軽く手を上げて俺を制する。
(だ、だめだ!むりやりにでも…!)
こうなったらビャクに体当たりしてでも止めなきゃ…!
どんなに仲間に蔑まれても、自分が無能だと思い知っても、もうこれ以上、狗神に噛まれる人を見るのは嫌だ。
意を決してビャクに向かって足を踏み込もうとした時。
「君達も狗神みたいだけど…ベニに何か用?」
「…ベ、ベニ…?」
「そう。僕の連れに用事なのかって聞いているんだよ」
ビャクの言葉に、仲間達は訝しげに顔を見合わせた。
そんな様子を見ながら、ビャクは溜息混じりに続ける。
「あのさー。誰かを貶めなきゃ君達が自分を保てないのはともかく…」
「な…!?」
「勝手に僕の連れに手を出さないでくれるかな。不愉快なんだよね」
(ビャク……)
きっと、"連れ"って俺のこと…だよね…
俺の話を聞いても、仲間の話を聞いても、ビャクはそう呼んでくれてるんだ。
でも仲間はそんなビャクを笑い飛ばした。
「あはは!逃げ出した弱虫の癖に、鬼を味方につけたのか!」
「しかもこんな子供の鬼!さすが落ちこぼれだな!」
「………っ」
「お前も狗神を"連れ"だなんて頭おかしいんじゃないか!?」
仲間の笑い声を聞きながら、足元からぞわっと震えが這い上がってきた。
震えといっても、怖かったんじゃない。
「…めろ…」
震えているのに、胸が燃え上がるように熱くて。
全身を沸騰しそうな血が駆け巡る。
たぶん…
いや、きっと、これって"怒り"だ。
「やめろ!!ビャクをばかにするな!!!」
急に出した怒鳴り声は、唸るように森に木霊した。
仲間は一瞬ビクリと体を揺らす。
俺は体が熱くて、自然と牙をむいて仲間を睨みつけていた。
そんな俺を、ビャクは軽く振り返って見つめる。
(……!?)
そして少しだけその口元をニコッと緩めた。
「…さっきから随分な物言いだね、狗神の分際で」
再び仲間の方を向いたビャク…
心なしか、冷たい風が吹きぬけた気がした。
でもそれが気のせいじゃないって、すぐにわかった。
本来持っている本能なのかもしれない。
ビャクの纏う空気が、自分達のそれとは全く異なって。
俺も仲間も、凍ったように身動きできなくなっていた。
「…たかが狗神風情が誰に物を言ってる」
「……っ」
「もう一度聞く…誰に向かってそんな物言いをしているんだ」
静かに一歩二歩と仲間にビャクは近づいていく。
仲間は震えながらも、身構えてビャクを見ていた。
「紅星は僕の"連れ"だ。お前らとは違う」
「な…!」
「いい?頭が悪いみたいだからもう一度言う。紅星は、僕の、仲間だ。手出しも口出しも許さない」
「お、おかしなことを言うな!あ、アイツだって俺等と同じ狗神だ!」
「同じ…?」
食って掛かる仲間の言葉に、ビャクの肩がぴくりと動いた。
そして纏う空気が一気に色を変える。
「紅星をお前等のような下等なものと同じにするな!自分以外を蔑んで、こうして寄って集って責め立てて!紅星はそんな卑怯な事はしない!」
「くっ……!」
「それに狗神だって一度ぐらいは、誰かしらから習うだろう?"神"とは名ばかりの存在だって事…お前等と僕、どちらが上か」
ビャクは静かに言うと、脇に挿していた長刀に手を掛けた。
「――我は鬼ぞ。そして紅星は我が迎えた仲間。格の違いもわからず噛み付くとは…恥を知れ」
淡々と放たれる言葉。
さっきまでのビャクとはまるで別人のような言い回しに、思わず生唾を飲んだ。
仲間は恐ろしいものを見たかのように、ガチガチと牙を震わせながら、それでもビャクから目が離せないようだった。
「今後…紅星にそのような口を聞く事は、鬼を敵に回すと心得ろ!!」
怒鳴りつけられた声に体を飛び跳ねさせると、仲間達は一目散に森の奥へと消えていった。
ヒュウッと冷たい風が木の葉をさわさわと揺らす。
「……ビャ、ビャク……」
―さっき、ビャクが仲間に言った言葉は、恐らく俺にも通ずることで。
それなのに、ビャクはどうして俺を庇ったんだろう…
いろんなことが聞きたいのに、上手く言葉が出てこない。
ビャクはゆっくりと俺の方を振り返った。
赤い瞳は鈍く光っている。
「…慣れない言葉使ったら疲れちゃった」
「へっ?」
でも、彼はフッと表情を崩すと、
「さ、帰ろうか」
そう言って静かに歩き出した。
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