第二章
└七
― 三ノ幕 ―
「あら、薬売りさん!ずいぶん早いのね」
下駄を履く薬売りに気づいた絹江が声をかける。
薬売りは足元に向けていた顔を少し傾け、絹江に微笑んだ。
「あんたの商売も大変なんだねぇ、今は町の西通りのお屋敷に通ってるんですって?」
絹江の言葉に、薬売りの手は暫し止まる。
『…よくご存知ですね』
ふっと笑いながら答えると、絹江は辺りをチラリと見回して薬売りに小声で言った。
「いやね…ちょっと噂になってるのよ。最近、西通りの女主人の所に通う色男がいるってさ」
『それはそれは…』
「元から色んな男が出入りする屋敷だったけどさぁ……まぁ、そんな屋敷だったら結ちゃん連れていけないものね」
絹江の呟きに薬売りは再び顔を上げた。
『…絹江さん、お願いがあるんですが』
「どうしたんですか、改まって」
『結が…一人の間にあちこち出歩いてるようなんですが』
「あー、はいはい。最近は仲のいいお友達もできてね」
『お友達……』
薬売りはぴくりと片眉を動かした。
見たことのない彼の反応に絹江は拍子抜ける。
「……………」
と、同時にかすかに唇の端を上げた。
「まぁね、私はお友達って聞いてるけどねぇ。毎日のように遊んでるようだし…とっても楽しそうにしてますよ」
『ふぅん』と、聞こえるか聞こえないかの声で薬売りが答える。
絹江は笑ってしまう顔を必死に抑えながらその様子を伺っていた。
そして無表情ながら不機嫌さを滲ませるその横顔に続ける。
「…気になるならつれってたらいいじゃない、結ちゃんも」
薬売りは何も答えずに薬箱を背負い立ち上がった。
『…とにかく。あまりおかしなものに近づかないように女将からもお願いしますよ』
「ふふふっ…はいはい」
くすくすと笑う絹江を薬売りはチラッと睨む。
『それから今夜も夕飯はいりません』
「あら、今夜も遅いんですか」
『…………今までよりは少し早めに切り上げます』
そう言って薬売りは出かけていった。
絹江はその姿を見送ると、我慢できないというように笑い声をこぼした。
「心配なら心配って言えばいいのに…素直じゃないねぇ」
そんなことを独りごち、台所へ向かった。
→8/23[*前] [次#]
[目次]
[しおりを挟む]