最終章
└三十四
私達は改まって庄造さんと絹江さんに向き合った。
「庄造さん、絹江さん…」
私が言いかけると、絹江さんがぶんぶんと手を振ってそれを止める。
「やっだ!やめてよ!…なんか…湿っぽくなるじゃない…!」
絹江さんの声は、一寸だけ詰まって震えていた。
そして赤ちゃんを庄造さんに預けると、私と弥勒くんを両手で引き寄せた。
「わ…!お、女将!」
「いいから黙ってなさい!」
ギュウッと抱きしめながら絹江さんはぐすっと鼻を啜る。
「…あんた達は私の子供も同然なんだから…!」
「絹江さん…」
ふと見れば赤ちゃんを抱っこしながら、庄造さんも鼻を赤くしてそっぽを向いていた。
「"さようなら"なんて許さないんだから!」
―ここに来て、何もわからない私にたくさんの言葉をくれた。
たくさんの思い出と、心と…愛情をくれた。
ほんの少しだけ思ったことがある…
記憶が戻る前。
私のお母さんも、絹江さんのような人だったらいいなって。
「絹江さん…ありがとう」
「うん…女将、俺、結を探しに来たのが一番の目的だったけど…女将とおやっさんに会えて、すげー嬉しいよ」
弥勒くんの声もちょっぴり震えていた。
私達は、強く強く抱き合う。
扇屋での思い出を閉じ込めるように。
お互いの温もりを、一寸でも零さないように。
「ほれ、弥勒。いつまで赤ちゃんからお母さん取り上げるつもりや」
やたさんが笑いながら、弥勒くんの頭をコツンっと叩いた。
私達が慌てて絹江さんから離れると、庄造さんに抱かれた赤ちゃんは小さな手を絹江さんに向かって伸ばしている。
「そう言えば、赤ちゃんの名前って決まったんですか?」
私が尋ねると、絹江さんは赤ちゃんを受け取りながら頷いた。
「うん!縁(ゆかり)!」
「縁…ちゃん?」
「そう。"袖振り合うも多生の縁"、ってね」
「ふふっ!いい名前ですね!」
「でしょー」
縁ちゃんは絹江さんの腕の中で、くりくりした目を輝かせてる。
ふと私を見ると、可愛らしい口でニコッと笑った。
『…なかなかの別嬪になりそうですね』
「だろぉ!?あ!いくら薬売りさんでも嫁にはやれねぇな!」
『………いりませんよ』
「何ぃ!?」
『…………』
私達の傍らで、庄造さんと薬売りさんは不毛なやり取りをしている。
絹江さんは「親ばか…」と呟いて、溜息を吐いていた。
笑いを噛み殺すやたさんと、我慢できずに大笑いしている弥勒くん。
(…扇屋に来てよかった…)
胸に広がる暖かさ。
改めてこの賑やかな日常が、掛け替えのないものだったと実感する。
…改めて、薬売りさんへの感謝を実感する。
(…お父さんの言ってた"彩りある未来"って、きっとこういうことの積み重ねなんだろうなぁ…)
湧き上がる幸福感を抑えきれずに、頬が緩む。
みんなを見渡していると、ふと薬売りさんと目が合った。
『…………』
(あ……)
薬売りさんは、切れ長の目を細めて、柔らかく微笑んだ。
→34/35[*前] [次#]
[目次]
[しおりを挟む]