最終章
└八
薬売りさんはおもむろに手を離すと、そのまま私の体をぐっと引いた。
「わ…!」
私は倒れこむように薬売りさんに覆いかぶさってしまう。
薬売りさんはギュウッと抱きしめて私の首元に顔を埋めた。
「…………」
『…………っ』
「い…痛くないんですか…?」
『………った…』
小さく薬売りさんが呟く。
『…よかった……っ』
その声は今まで聞いたことが無いくらい頼りなくて。
少しだけ震えていた。
「…薬売りさ…っ」
私は堪え切れなくて、寝たままの彼の着物を握り締めた。
零れた涙は何滴も彼の着物に吸い込まれていった。
『…初めは…』
その体勢のまま、薬売りさんが口を開いた。
『初めは、白夜の言うとおり…結の鬼気迫る雰囲気に惹かれて……』
「…………っ」
首元で少しくぐもった声に、心臓が跳ねた。
『もう一度見たいと思いました…あの朝の結は恐ろしいほどに美しくて、脆くて、儚くて…もう一度、見たかったんです』
「…………」
『白夜の言った通り。言い訳のしようもありません…でも』
薬売りさんの腕が、再び力を込める。
『…結とここで暮らすようになって、"おかえり"とか"ただいま"とか…笑ったり泣いたり…戸惑ってみたり拗ねてみたり…色んな結を見ている内に、もうどうでも良くなったんです』
「え……」
『あの日の結よりも、この先の結を見たい』
フッと腕を緩められて、薬売りさんが私の顔を覗き込んだ。
間近で藤色の瞳が私を包む。
(…綺麗な色………)
吸い込まれるような色に、私は改めてそんな風に思った。
『…結、あなたがこの先その瞳に映す世界を…一緒に』
「―――っ」
薬売りさんの言葉を遮るように、私は彼から体を離す。
衣擦れの音と共に、薬売りさんの腕が私から滑り落ちた。
予想外の出来事だったのか、薬売りさんは目を丸くして私を見ていた。
私は顔を伏せたまま小さく深呼吸をする。
そしてゆっくりと顔を上げると、薬売りさんに向かって笑顔を向けた。
『…結…?』
「……薬売りさん」
私は薬売りさんの手を両手でキュッと握った。
ちょっと冷たくて、綺麗だけど頼もしい薬売りさんの手。
何度も私の頭や頬を撫でてくれた。
「薬売りさん」
―薬売りさん、好きです。
大好きです。
私を連れてきてくれて、ありがとう。
「…私を斬って下さい」
ありがとう、でも。
もう終わりにしてください。
三ノ幕に続く
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