最終章
└二
―――……
「薬売りさん!薬売りさん!!」
『だ、いじょう…』
崩れ落ちた薬売りさんは脇腹辺りを押さえながら、浅く苦しそうな息をしていた。
いつもは無表情なその顔に、苦悶と汗を浮かべていて、私は一気に血の気が引いてしまう。
「は、早く…町でお医者に……っ」
震える手で彼の体を抱きかかえながら、私は周りを見回した。
深い森の奥から彼を安全に運べる方法…
「早く…っ」
焦る私の頬に、ふと柔らかい感触。
「…っ!ベニちゃん…」
ベニちゃんは薬売りさんの着物を咥えると、器用に自分の背中に乗せた。
「ベニちゃん、白夜は…?」
私が問いかけると、ベニちゃんは一瞬その瞳を悲しそうに伏せる。
(…あ……)
「ビャク!!」
「一人でいい!!」
先ほどの二人のやりとりを思い出す。
白夜の事を聞こうと思ったけれど、ベニちゃんの様子を見ているととてもできなかった。
「結、おくっていくからのって」
「え、でも…」
「はやく!くすりうり、くるしそうだから…」
そう言うと、ベニちゃんは私の着物を咥えて背中に乗せた。
「…ビャクならだいじょぶ…」
「ベニちゃん…」
小さく呟いた後、ベニちゃんは高く飛び上がり、暗くなり始めた森の梢を渡るように走り出す。
風のような速さに、私は必死で薬売りさんが落ちないようにしがみついていた。
やがて周囲の景色から木が消えた頃。
風を避けるように伏せていた顔を上げると、見慣れた町並みが広がっていた。
(あ………)
遠くからだってわかる。
扇屋はあの屋根だ。
白夜に連れられて扇屋を出てから、そんなに長くは経っていないのに。
絹江さんや庄造さん、弥勒くん、やたさん……
みんなの顔がとても恋しい。
懐かしさと、急に出ていった罪悪感で妙に緊張してきた。
「おりるよ」
ベニちゃんは静かに言うと、段々と速度を落としていった。
そしてふわりと扇屋の前に降り立った。
「薬売りさん…」
『…う………』
薬売りさんは苦しそうな表情で、薄く目を開いた。
そしてそっと私の頬に触れる。
「…っい、今は薬売りさんの方が…!」
『…………』
何を言われた訳ではないけれど。
薬売りさんが心配してくれているのだけは、何故だかはっきりわかった。
「結ちゃん!」
扇屋の入り口から名前を呼ばれて、私は勢いよく振り返った。
「やたさん…!」
そこには息を切らしたやたさんがいて。
私と薬売りさんの姿を見ると、ギュッと眉間に皺を寄せた。
「やたさん!薬売りさんが…!」
私は思わずやたさんの着物に縋り付いた。
やたさんは視線を薬売りさんに向けたまま、私の腕にそっと触れる。
「落ち着き、結ちゃん」
「薬売りさんが苦しそうなの!血も吐いたの!」
「結ちゃん!」
やたさんに両肩を掴まれて、ハッと我に返った。
口を噤んだ私を見て、彼は小さく微笑むとそのまま肩をぽんぽんっと叩く。
「とにかく薬売りは俺が運んであげるんから…結ちゃんも中に入り?な?」
「……はい…」
もう一度私の肩をぽんっと叩くと、やたさんは薬売りさんの方へと近づいていった。
「よっ、と…」
ベニちゃんの背中から薬売りさんを抱きかかえて下ろすと、やたさんは柔らかな笑顔を浮かべる。
「紅星…お前もご苦労さんやったな、ありがとう」
「……うん」
ベニちゃんは、ちょこんと頷くとそのまま私達に背を向けた。
「ベニちゃん…!」
「…………」
「ありがとう、本当に…ごめんね……」
絞り出すように出した声は、上擦って震えた。
でも、これ以外に…これ以上に何を言って良いかわからなかった。
「……ん」
振り返る事無く、ベニちゃんは身を低くすると、そのまま風に溶けるように姿を消してしまった。
「ごめん……」
ベニちゃんの後ろ姿と、白夜の背中が重なって見えて…
私は謝ることしかできなかった。
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