第八章
└十七
― 四ノ幕 ―
雨が止んだ夜空に、ひとつふたつ、星がぼんやりと見えてきた。
結は相変わらず静かに寝息を立てて居る。
薬売りはその小さな手を握りながら、ただひたすら彼女を見つめていた。
「…薬売りさん」
襖の向こうから絹江の声がした。
そしてそろりと襖が動き、声の主はひょこっと顔を出す。
「結ちゃん…まだ眠ってる?」
『一度起きましたが…』
絹江はそっと結の寝顔を覗き込んだ。
そしてふと視線をずらした時、二人の手がしっかり結ばれているのが目に入る。
「………ふふっ」
『…何です?』
「いえいえ…さっきより顔色良さそうね…お風呂、沸かし直したんだけど。起こしたら可哀想かしら?でも雨に濡れて体も冷えてるだろうし…」
ぼそぼそと二人が会話をしていると、結の目が薄っすらと開いた。
「あれ…絹江さん…?」
「わ…ごめん、起こしちゃったね」
「いえ、大丈夫です」
そう言って結はゆっくりと体を起こす。
そして結も自分の手が、薬売りの手に収められている事に気づき…
少しだけ自分の体温が上がるのと、何ともいえない安心感を覚えるのだった。
「あの、ご迷惑をかけてごめんなさい…」
「もう!本当よ!夜に女の子だけで雨の中をふらふらと…危ないからもうしちゃ駄目よ!」
「は、はい!あ…あの、よし乃ちゃんは…?」
絹江に叱られた結は、肩を竦めながらおずおずと尋ねた。
視線を向けられた薬売りは、いつもの無表情で答える。
『…帰ったでしょう、宿に』
「そうですか…よかった…」
ホッと息を吐きながら呟く結を、薬売りは眉を顰めて見つめた。
『…彼女が心配ですか?』
「え…そりゃあ…」
"あんな目に遭わされたのに?"
そう続けたかったが、薬売りは言葉を飲み込み代わりに溜息を吐く。
『…お風呂、頂いたらどうです?』
「へ…あ、そう言えば体が冷えてる…」
「そうね、準備してあるから行ってらっしゃい!ついさっき遅く到着したお客さんが何人か居るかもしれないけど」
「ありがとうございます、じゃあ…行ってきますね」
結が手を解こうとすると、薬売りは名残惜しそうにゆっくりと解放した。
そんな様子を絹江はこっそりと笑いながら見守る。
「さ、ゆっくり温まっておいで!あ…薬売りさん、少し頼める?」
結が階段を下りていくのを見送ると、絹江は薬売りに向き直った。
「おむすびこさえ過ぎちゃって…悪いけど、運んでくれる?」
『…はいはい』
薬売りは少し面倒そうに返事をすると、絹江と一緒に部屋を出た。
そこにある空気はさっきまでの緊張感は少し緩んで。
皆の揺れる心の唯一の支えだった。
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