第八章
└十六
ぱたぱたと音を立てながら、お札が薬売りの元へ戻る。
絹江は顔を覆って、嗚咽を漏らしていた。
「………っ」
弥勒もぎりぎりと歯を食いしばりながら、目に涙を一杯溜めていた。
「…薬売り、結ちゃん目覚ますっちゃうか?」
『…………』
未だ布団に横たわる結を見て、八咫烏が言う。
薬売りは何も言わないまま、小さく頷いた。
それを聞いて絹江が顔を上げた。
「…私、お風呂の準備してくるわ…」
「お、女将はん?」
「だって…私達がいつも通りじゃないと、結ちゃんがつらいばっかりじゃない!」
絹江の言葉に、皆がハッとした。
「…本当なら…女の子だもの、あんな卑劣な事されたなんて誰にも知られたくなかったはずよ…。私達はそれを覗き見してしまったんだから…せめて結ちゃんがこれ以上自分を責めないようにいつも通りにするべきだわ」
八咫烏も弥勒も、それに強く頷く。
「そうだよな…うん、そうだよ…!」
弥勒はパンッと自分の頬を叩くと、勢いよく立ち上がった。
「女将、俺腹減った!」
「えっ!?」
「握り飯!山盛りでお願い!」
「…よし!任せておきなさい!」
呆気に取られた後、絹江は笑って腕まくりしてみせる。
二人はわいわいと話しながら部屋を出て行く。
そんな姿を見ながら、八咫烏は苦笑いした。
「空元気ってバレバレやに…」
そう言って肩を竦めると、彼も部屋を出て行く。
急にしんっと静まり返った部屋。
薬売りは退魔の剣を握り締めたまま、結を見ていた。
『……結…』
「…う…ん……」
不意に呼びかけた声に、結が眉間に皺を寄せる。
薬売りは思わず身を乗り出して彼女の顔を覗き込んだ。
『結…戻ってきなさい』
「…ん………」
『……結…』
そっと結の額に浮かぶ汗を指で拭うと、それに反応したように結の長い睫が揺れた。
「…あ…あれ…?」
『…………っ』
「え…わ、近い…!!」
まだぼんやりとした視界に飛び込んで来たのは、他でもない薬売りの顔。
思いの外、近いその距離に結は思わず飛び起きた。
…と、同時に引かれた腕。
そのまま結の体は、薬売りの青い着物にすっぽりと包まれる。
ちりんっと音を立てて、薬売りの手から退魔の剣が落ちた。
「く、薬売りさん…!?」
『……………』
戸惑う結の声に応える代わりに、薬売りの腕の力はぎゅうっと強まる。
『…結……』
「……薬売りさん、私……」
結は安心できる温もりに身を預けながら、薬売りをギュッと掴んだ。
「…私、全部思い出しました…」
静かに告げられる言葉に、薬売りは何も言わず。
細い指で、撫でるように結の髪を掻き混ぜた。
『…何があっても…誰がなんと言っても…』
「………?」
『結…私は…あなたが好きです』
突然放たれた言葉に、結は一瞬目を見開いた。
抱きしめられたままでは、彼の顔を覗く事は出来ない。
でも。
『…好きです…』
聞きなれない切実な声音が、結を信じさせるには十分すぎた。
「…薬売りさ……」
結は次々に零れる涙を拭えないまま、薬売りの胸に顔を埋める。
薬売りは宥めるように、ぽんぽんっと彼女の背中を撫でると、ゆっくりと体を離した。
『…もう少し眠りなさい、ここに居ますから』
「……でも……わ…っ」
泣き顔で見上げる結の目尻に、薬売りが唇を落とす。
それに続いて、柔らかな感触はおでこに移った。
『…ここに居るって言っているでしょう?』
柔らかく微笑む薬売りに、結は顔を真っ赤にして口を噤んだ。
そして観念したように、再び布団に横たわる。
結の手を握りながら薬売りが布団を掛けた。
「…ありがとうございます」
結は微笑むと、すぐにまた眠りの世界に落ちていく。
薬売りはその様子を見ながら、結の手を強く握った。
四ノ幕に続く
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