ひとりじょうず | ナノ




第八章
   └十



――ぱたん



「…………」



やがて、邦継が結の部屋を出る頃。

昇りかけの朝日が、暗闇にじんわりと白く滲み始めた。



結は投げ出されたままの自分の手を、ぼんやりと見ていた。



ひたすら流れ続けた涙は、結の長い黒髪のこめかみ辺りを濡らしている。

起こった事を頭で噛み砕くには、あまりに辛すぎた。



小さく震える手の先に見えるのは床の間。

抵抗したときに鳴った音は、活けていた花の器がひっくり返る音だったのか。


薄紫の野の花が倒れ、花器の端が欠けていた。





「…花…お父さんの…花…」



結は虚ろなままそう呟くと、痛む体を引き摺るようによろよろと立ち上がった。



乱れた寝巻きを直すと、廊下の障子を開けて草履を履く。

覚束ない足取りのまま、結は"星のお池"までふらふらと歩いた。


まだ薄暗い空の端には、朝焼けの赤が混じり始め。

それでもまだいくつかの星が濃紺の夜空で輝いている。





「…………」



池のほとりに着くと、結はその場にしゃがみ込んだ。

足元の花を摘もうと手を伸ばした時に、自分の手が赤く擦り剥けている事に気付いた。





「…………」



ちゃぷん…




結は寝巻きが濡れるのも厭わず、そのまま池に足を進める。


いくら夏といっても、森の中にある池の水は身を切るように冷たい。

ざぶざぶと水が自分に押し寄せた。


やがてそれが臍の辺りまで来た時。

結は引かれるように上を見上げた。



まだ黒い影でしか見えない森の木々。

そこから覗く夜と朝の狭間の空。


書斎で見た父の絵巻物を思い出した。





「…う…っ、うぁ…」



彼女の目尻から、ぽとぽとと涙が零れた。




「ひ…お…お父さ……っお父さん…うぁぁああああっ」




痛い。


いたい。



イタイ。




どうして。


何で。




何で。




一気に色んなものが押し寄せて、結は声を上げて泣いた。

父と母と祖母と、この池に蛍を見に来た頃の、小さな子供のように。


泣いて泣いて、泣きじゃくった。


恐怖や悲しさや痛み。

襲ってくる物事が多すぎて、何が一番悲しいのかわからない。


どうしてこんな事になったのか、それはもっとわからない。



やっと掴んだ母の幸せが、こんな事に繋がるのか。






「お父さん!お父さん…っ!!」





しゃくり上げながら何度も父を呼んだ。

もう、微笑んで振り返ることは無いのに。



もう…父はいないのに。



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