ひとりじょうず | ナノ




第八章
   └十一



それからの結は、日中は母と榮と過ごし、夜が来るのを恐れながら過ごした。

さすがに邦継も、母や榮の前では決してあの時の顔を見せる事は無かった。


でも、夜になれば気紛れに結の部屋に訪れる。


毎夜であれば逃げようもあったのかも知れない。

しかし彼は本当に気紛れに結の元に現われる。


いつ来るかもわからない恐怖。

それが余計に結の神経を磨り減らした。




「私…少し散歩に行って来る」



いつも夕暮れ前になると結は一人で家を出た。

そして自分の住む町が見下ろせる、小高い丘にやってくる。




「よい…しょっ」



一際大きな木によじ登り、太い枝に腰をかけた。


段々と橙に染まっていく町並みを、夕陽が沈むのを怨むように睨んでしまう。

そうしている内に、自分の頬は涙に濡れていくのだった。





「カァーッ」

「…あ…」



この丘に来るようになってから、いつも一羽の子烏が寄って来るようになった。




「カァカァッ」

「今日も来てくれたんだね」




結の差し出した手に停まると、子烏はバサバサとその翼を羽ばたかせた。

その様子にクスッと笑うと、結は涙を拭って指先で子烏を撫でる。


子烏はくりくりした大きな目で、きょとんっと首を傾げた。




「…大丈夫、私は…大丈夫だよ」




…いつも、自分に言い聞かせるように、呪文のように繰り返した。




「大丈夫…きっと、こんなの悪い夢なんだから…」









――がたんっ



「やめ…んんっ!!」




きっとこんなの、悪い夢だ。

いつかお父さんが言ってた。



"悪い子にしてると、逢魔が刻に魔物がついて来ちゃうぞ"




きっと、私は何か悪い事をしたんだ。





「…いい加減諦めろ。何度も言ってるだろう?お前は俺のものだ」





だから、魔物が私のところに来て悪い夢を見させるんだ。





「一気に家と夫と子供を失ったら…多恵はどうするか…なぁ?結」





魔物が私に呪いの言葉を投げかけるんだ。

そう、これは悪い夢なんだ…





「ふ…っ、そう、大人しくしていろ…良い子だ…」




滲む視界に移る天井は、どこまでも深い黒。

朝が来て、夢から覚めれば…きっとこんな事、忘れるはず。






「…………」




精神的に消耗していく夜は、段々と結を蝕んで。

そんな夜の後は、気付けば"星のお池"に来ていた。


水際に投げ出された足に、じんじんと伝わる水の冷たさで彼女はやっと自分を取り戻す。

いつの間にか木の葉は色づき、水温は痛いほどに低くなっていた。





かさっ



ぼんやりと暗い空を見上げていると、背後で枯葉を踏みしめる音がした。




「……っ!誰…!?」



ビクッと肩を震わせて振り返る。




「あ…あなたは…」

「…何してるのさ、人の池で」




そこにいたのは、白い男の子だった。




「あ、あの…いつもここに居た男の子、だよね…?」



幼い頃に見た時より大人びた彼は、間違いなくこの池にいた男の子だ。

面影が残っている。


でも、あの子にこんな角があっただろうか…?

父には見えず、自分にしか見えていなかった白い少年。


父の言うとおり、きっと"自分だけが見えていた存在"である事は、薄々理解していた。




(…まさか鬼だった…って事?)



目を丸くしている結に、彼は無言で何かを差し出した。




「あ…これ…!」

「…君がくれた物でしょ?」



その手にはいつか父が作ってくれた赤い風車が握られていた。

と、言ってももう随分とボロボロになってしまっていたけれど。




「人間は、どうしてこんな壊れ易い物を作るんだろうね」

「えぇ?あぁ…紙、だからね…」



結は素っ頓狂な質問に思わず強張っていた表情を崩した。

すると彼は、つられたように目元を緩める。




「……君はここで何してるの?」

「え…あ…」

「最初は花を摘みに来てるだけだった。でも、今はそれだけじゃない」

「…ずっと知ってたの?私がここに来てる事…」

「だってここは僕の池だもん。ずっといるさ……君が僕に目を向けなかっただけだ」



少し拗ねたように、白い鬼が唇を尖らせた。

そして不意に木の陰に向かって声を掛ける。




「…ベニ、おいで。隠れてたってそんな大きな体、隠しきれないでしょ」

「…ビャクひどい」

「わ…っ!!」



声を掛けられて出てきたのは、普通のそれよりはるかに大きい犬だった。

紅い豊かな毛並みを輝かせながら、おずおずと近寄ってくる。




「…こいつは狗神の紅星(べにぼし)、それと…僕は白夜(びゃくや)。今更名乗るのも変な感じだけど」

「わ…私は結…」

「結、おれべにぼし。ベニでいいよ」

「きゃっ!」




自己紹介を終えた紅星は、嬉しそうに尻尾を振りながら結の頬を舐めた。

ぴすぴすと鼻を鳴らしながら甘えるように結に身を寄せるその姿は、普通の犬と一緒で。



「…ふふっベニちゃん、可愛い」



結は思わず紅星の体にぎゅうっと抱きついた。


その隣で白夜は眉間に皺を寄せると、

「…変な趣味」

と呟くのだった。




「…それで?」

「え?」



少し真剣味を帯びた白夜の声音に、結の心臓がどくんと脈打った。




「君からは…絶望にも似た匂いがする訳だけど」

「………っ」

「…僕はそれを聞くために、君に声を掛けたんだ…まぁ、風車の義理、ってとこかな」

「…私は…何も…」




赤く光る彼の瞳は、自分の中の何もかもを見透かしそうで…

結は思わず視線を逸らす。



…今、彼に話してしまえば"悪い夢だ"という言葉が一気に崩れそうで。

結は固く口を噤んだ。




「……まぁ…良いけど」



白夜は呆れたように溜息を吐いた。

…が、その態度とは裏腹に、何も言わずに結の傍に寄り添って、一緒に夜空を見上げている。


そしてそのまま、結が帰るまでただ黙って彼女の隣にいたのだった。

三ノ幕に続く

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