ひとりじょうず | ナノ




第七章
   └十七



「…結…」


落ちてくる雨粒から庇うように、弥勒は結を抱きしめた。

青白い顔は、眠ったように動かない。




「…このままじゃ風邪ひいちまう」



弥勒は今にも零れそうな涙を拭うと、結の体を抱き起こした。





ふわ…っ


「…え…蝶々…?」



弥勒の元に、ふわりと白い蝶々が舞い降りてきた。

優雅に踊るように羽を動かすそれは、暗い森の中、若干不気味に思える。



やがてその蝶々は結の方へ近寄ってくる。

遠ざけようと払った弥勒の手をするりと避けると、そのまま結の胸元に降りていった。




「あ…」



一瞬、ぼわっと光ったと思うと蝶々はそのまま結の中へと消えていった。





「な、何だよ…!」



弥勒は慌てて結の胸元を払った。

…が、もう蝶々の姿は無く。


ただ雨粒が着物を濡らしていくだけだった。





「…っ、早く帰らなきゃ…!」



我に返った弥勒が結を背負う。

体勢を直してしっかりと結を負ぶうと、弥勒は早足で森の出口へ向かった。



闇を見る力を失った弥勒には、夜の獣道は歩きにくくて仕方がない。

ガサガサと枝や草を掻き分け、どうにかぬかるんだ道を歩いた。




「結…!大丈夫だからな…!」




時折呟く独り言は、結のためであり自分のためでもあった。




「くそ…っあの女…!」



怒りに唇を噛み締めて涙を堪えた。



もっと早く結達に追いついていれば。

結の傍についていれば…




「…ちくしょう!」



弥勒はもう一度目元を拭った。




「……っ!」



そしてハッとして足を止める。

辺りを見回して、眉間に皺を寄せた。




(獣の…匂い?)




くんくんと鼻を利かせる。

森の土の匂いに混じって、微かに獣の匂いがする。




『微かだが…獣臭い』





いつだか薬売りが言っていた一言を思い出した。

薬売りが言っていたのはこの匂いの事だったのか。


弥勒の心臓は警鐘のように鳴り続ける。





「よりによってこんな時に…!」




まだ見ぬ影に弥勒が身構えた時――






ガサッ



「……お、お前…!」





草陰からゆらりと大きな影が出てきた。

紅いその影はゆっくりと二人に近づく。




「…結、どこにつれてくんだ」

「…!」




それが近づく度に、小枝の踏みしめられる音がする。

ぐるるる、と威嚇するように喉を鳴らす音に反応して弥勒の瞳が金色に光った。




「…!おまえ、やたがらすか?」

「だったら何だ!」

「…あんまり、なかま、こうげきしたくない」




ぼんやりと映る紅い影は、少し悲しそうにきゅうんと鼻を鳴らす。

そして大きな耳に蒼玉の勾玉が光った。




「……お前…!狗神か…!」

「でも…結はつれていかせない」



狗神はスッと身を低くすると、牙をむいて弥勒に飛び掛った。




ザンッ


「うああぁあっ!」




鋭い牙が弥勒の腕を掠めた。

鮮血と共に弥勒の着物が飛び散る。






「う…っあ……」



弥勒はそれでも尚、結を落とさないように腕に力を込めた。




「ごめんね、でもおれたちも結、さがしてた」


(…俺、"達"…?)


「だから結、かえせ!」




再び牙をむいた狗神は、大きく口を開けて弥勒に向かってくる。




(く…!どうする…!?)



痛みに霞む目で身構えると、不意に頭上で声がした。





「ベニ!」

「!!」



狗神はグッと身を翻すと、その場に着地する。

そして近くの木を見上げた。



「ビャク!」



嬉しそうに尻尾を振るその姿は、狗神というより犬そのもの…

弥勒は軽々と梢に飛び移っていくその姿を見て、呆気に取られていた。




「ベニ、もういいよ」

「でも…結はどうするの?」



ビャクと呼ばれた男は、木の上から弥勒を見下ろした。




「…今はいいよ、早く温かい所に連れて行ってあげて」

「……お前は…」



覚束ない視線の先に、二本の角が見えた気がした。




「近い内に結は迎えに行く。あの青い着物の男にも伝えといて」




男は軽い口調でそう告げると、ひょいっと狗神の背中に乗った。

そしてひらひらと手を振ると、疾風の如く雨の夜空に消えた。




「…結…一体…」




弥勒はぐらりと傾く体を、どうにか踏ん張って堪える。




「とにかく…帰ろ、う…」



ぐっと歯を食いしばると、びりびりと腕に痛みが走った。




「く……っ」



しかし弥勒は、腕から流れる血もそのままに、結の体をもう一度背負い直すとふらふらと歩き始めた。

五ノ幕に続く

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