第七章
└十三
― 四ノ幕 ―
降り出した雨は、いつの間にか本降りになり酒場の屋根を叩く。
周囲は賑わっているはずなのに、やけにその音が耳に響いていた。
『…殺された…?』
表情を固めたまま鸚鵡返しをする薬売りに、秀太郎が小さく頷く。
「恐らく…強盗か何かの仕業なんじゃないかと…」
そう呟くと、秀太郎は「ただ…」と続けた。
「家の中が荒らされた様子が無くて…」
『……それならば…姿を消した結が一番に疑われるでしょう』
薬売りが言うと、秀太郎がギュッと握り拳を作った。
「もちろんそう噂する人も居ました…たぶん、よし乃もそう思っている一人だと思います…」
『……………』
彼女の態度の意味に納得すると共に、薬売りはあの日の事を思い出す。
―まだ朝靄が残る中。
旅の通り道で少し脇道に入った。
何かがあってここに来た訳ではない。
ただ、奇妙なほどに胸が騒いだ。
それは怪の醸し出す妖気のようで、それでいて無邪気に誘う幼子の手招きのようで。
引き寄せられるように、薬売りはそこに向かった。
『…………』
不気味なほどに赤く染まる朝焼けの中、ふらりと一人の娘が庭先から出てきた。
薄桃色の浴衣は乱れ、滲んだ赤はまるで大輪の花文様。
青白く透き通った娘の頬。
頬に跳ねた血が涙と共に零れ、虚ろな瞳には輝きはない。
――不思議な感覚だった。
恐ろしいとも言えるその姿に、何故か無性に惹かれた。
雰囲気に呑まれていたのかもしれない。
漂う血の匂いと瘴気に中てられていたのかもしれない。
だけど、どうしようもなく欲しくなった。
紅く染まる白い揚羽蝶を、この手に掴みたいと…
『…来なさい』
考えるより先に唇が言葉を零す。
『私と一緒に、来なさい』
そして彼女は、柔らかい呪縛の言葉に薄っすら微笑むと、差し出した手を取った。
「…最初は…」
秀太郎の声に、薬売りはハッと我に返った。
「結が一番に疑われました。でも幼い義弟は無事だったことからその可能性は低いんじゃないかって」
『……両親のみが殺された、と』
「えぇ…結はそのまま攫われたんじゃないかって」
強ち間違っていないような気がして、薬売りは秀太郎から目を逸らして酒をあおった。
「あの町は信心深い人が多くて。結の実父も八百万の神を大事にする人でした」
『お侍にしては…珍しいですね』
「えぇ。その影響か結も神様を大事にしていたから…その内、人々は誰からと無く"結は神隠しにあった""神様に愛でられた子だったから、この惨状からきっと無事に逃げ出した"と…」
薬売りの顔を見て、秀太郎はクスッと笑う。
「…あなたからしてみたら、そんな道理があるかと思うでしょう?」
『…まぁ、まるっきり否定はしませんがね。納得しない人のほうが大半でしょう』
「その通りだと思いますよ。でも…そう言われるのも頷ける人達だったんですよ、結の家族は。本当に人が良くて…誰にでも分け隔てなく笑顔で。とても人望のある人達だったんです…結を見ていればわかるような気がしませんか?」
まるで昔を思い出すように、秀太郎は遠い目をした。
薬売りも、彼の言葉に同意したのか固くなっていた表情をフッと緩める。
「…仮にね、結がやったとしても…」
『………』
「きっとみんな、その罪より先に"そうせざるを得なかった理由"を探すと思いますよ」
『…そう、ですか』
「こんな都じゃありえない事なんでしょうね…でも、きっとあの町の人達はそうする…こんな風に言ってしまうと幼馴染の欲目みたいに聞こえるでしょうけどね、ははは」
『いえ………』
秀太郎は、静かに答える薬売りを見た。
柔らかい笑みを湛えた彼の表情に、秀太郎は同性だという事も忘れてつい魅入ってしまう。
『わかる気がしますよ、結の傍にいると…周りから愛されて周りに愛を与えて生きてきた温かさがありますから』
目を細める薬売りに、秀太郎はホッとしたような笑顔を浮かべた。
「…よかった、結を助けてくれたのがあなたで」
『……ふっ…』
「まぁ…俺はこれで長い初恋が終わったわけだけど」
おどける様に肩を竦める秀太郎。
二人はもう一度小さく笑うと、一緒にお猪口を傾けた。
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