第七章
└十四
『…さぁ、そろそろ帰りましょうか』
「え?もう少しいいじゃないですか?」
酒を飲み干すと薬売りはさっさと立ち上がる。
引き止めようとする秀太郎に、薬売りはしれっと答えた。
『…心配なんですよ、結が』
「へっ?」
『一人にしていたくないんです、結は淋しがりだから』
そう言うと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
ぽかんと薬売りを見る秀太郎は、ははっと力ない笑いを零した。
「…いやぁ…初恋だなんて打ち明けなければ良かったなぁ」
『…ふっ…』
拗ねたようにぼやく秀太郎を鼻で笑うと、薬売りは出口へと向かった。
「まいどー」
店主の声と共に暖簾を潜れば、ざぁざぁと降る雨。
「うわー参ったなー…」
少し千鳥足の秀太郎が空を見上げて呟いた。
『…傘、借りますか』
「―薬売り!」
そう言って店に戻ろうとする薬売りを、聞き覚えのある声が引きとめた。
『……どうしたんです』
振り返ったそこには、傘を差しながら息を切らした八咫烏の姿があった。
「…結ちゃんは?」
『…結は先に戻っているはずですが』
「じゃあ弥勒はおるか!?」
ただ事じゃない雰囲気に、薬売りも秀太郎も言葉を失っている。
『…何があったんです』
冷静さを保つように、努めて静かな声で薬売りが尋ねた。
「…弥勒が急に結ちゃんがおるって外に飛び出していってしまったんや」
『どこへ?』
「それがわからへんのや…ただ"あの女"言うて窓から…」
八咫烏は秀太郎の存在に気付いて、ハッと口を噤む。
「あ、あの…結と一緒にいたって…よし乃しかいないですよね?」
『………』
嫌な予感が薬売りに纏わり付く。
不愉快な音を立てて心臓が軋んだ。
『……結…っ』
「あ!薬売りさん…!」
降りしきる雨の中、薬売りは弾かれるように走り出した。
話が見えない秀太郎は、追いかけようと一歩踏み出したところで腕を引かれる。
「あんたはこの傘を使いなさい」
「え、あ、あの」
無理矢理に押し付けられた傘。
そしてその男も薬売りを追って行ってしまった。
「だ、誰…?」
番傘から落ちる雫の向こうに、二人の姿はもう無かった。
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