第七章
└七
「私…薬売りさんに連れてきてもらえて…本当に良かったと思ってます」
『……!』
「く、薬売りさんがただの気まぐれで私のことを助けたんだとしても…」
込み上げてくる涙の理由は何なんだろう?
よくわからないまま、私はつっかえつっかえ言葉を紡ぐ。
「…私っ、薬売りさんに…会えて…良かった」
『結…』
「昔のことは忘れちゃったけど…でも薬売りさんが…あの日私を見つけてくれて…」
私は息を深く吸うと、意を決して顔を上げる。
「だって…私、恩人とかじゃなくて、薬売りさんのこと………っ」
『………っ』
真っ直ぐ薬売りさんを見ようと顔を上げたのに。
私の目に映ったのは、青い着物越しの夕焼け空だった。
「……え……?」
『……結…』
じわじわと伝わってくる温かさで、自分が抱きしめられている事にようやく気がついた。
背中を探るように、何度も薬売りさんの手がさすっていく。
『……結…』
「………薬売りさ…」
薬売りさんは、ゆっくりと私の肩口から顔を離した。
やっと向き合った薬売りさんの顔は、切なそうに歪んで…
たぶん、私は泣いていたんだと思う。
薬売りさんの瞳が痛そうに揺れていたから。
『…最初は…結を連れてきたのは…っ』
彼は言葉を切ると、苦しそうに俯いた。
でもハァッと息を吐くと、再び顔を上げて私を見た。
そして長い指を私の頬に滑らせた。
ゆるゆると涙を掬うように指先を動かした後、その指はそのまま私の髪を掻き混ぜるように梳いていく。
薬売りさんは私を悲しげに見つめたままで…
「薬売りさん…」
やがてその手は私の後頭部を抱えるように抑える。
『でも…今は…』
「…あ……」
眉を少し寄せたまま、薬売りさんが小さく笑う。
そして不思議な色の瞳は伏せられ、震える唇がゆっくりと近づいて…
(……薬売りさん…)
「結ちゃーーーん!」
「っ!!!」
『……………』
私達は唇が触れ合う寸でで、びくっと体を揺らした。
(う…うわ……うわーーーー!!!)
目の前にある薬売りさんの瞳に、一気に顔が熱くなっていく。
薬売りさんはというと、信じられないといったように階下に続く階段を襖越しに睨みつけていた。
「あれぇ?おーい結ちゃん?」
絹江さんが再び聞こえ、とんとんっと階段を上がる音が続く。
『はぁ……』
「…………」
溜息を吐きながら薬売りさんが私を解放する。
私は戸惑いながらも、そろりと襖を開けて上がってくる絹江さんに顔を見せた。
「あ、いたいた!お客さんよ」
「え?お客さん?」
「うん。あ、ねぇ!さっき言ってた幼馴染の子達ってあの子達?」
「…あぁ!!!」
急に声を上げた私を絹江さんが不思議そうに見る。
(しまった…秀ちゃんが飲みに行こうって言ってたっけ…)
恐る恐る薬売りさんのほうを見れば…
「………!」
彼は涼しい顔をしながら、くっきりとこめかみに青筋を刻んでいた。
三ノ幕に続く
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