第七章
└二
「薬売りはんは今日も仕事やろか?」
「あ、やたさん…」
弥勒くんと絹江さんのほほえましいやり取りを見ていると、やたさんが私の隣に並んだ。
「はい、今日はもう出かけました」
「ふぅん…今日は薬を売る方やろか、それとも…」
「え…?」
どきんっとして彼を見上げると、やたさんはいつもの笑顔。
(やたさん、気付いて…?)
薬売りさんはその名の通り、薬を売る仕事をしている。
でも、その傍らモノノ怪を斬ることも彼の仕事だ。
薬売りさんの言葉を借りれば"あるべき場所に還す"のだ。
「しっかし、どうやってモノノ怪探すんやろねぇ」
「さ、さぁ……」
「何や特別の嗅覚でもあるんやろか?」
そういえば…どうやって探してるんだろう?
多少、私が引き寄せているのもあるんだろうけど…
改めて浮かんできた疑問に首を傾げていると、やたさんはニッと笑って私の顔を覗き込んだ。
「で、結ちゃん」
「はい?」
「何をそんなに落ち込んどるの?」
「!!」
やたさんの言葉にぎくりと心臓が跳ねる。
「そ、そんな事…」
「あるやろ〜。何、薬売りはんと喧嘩でもした?」
「………」
「図星や〜〜〜♪」
「も、もう!やたさん!…そんな…結構深刻なんです!私にとっては」
しょぼしょぼとしぼんでいく私を見て、やたさんはぐりぐりと頭を撫でた。
そして、こっちの気も知らずにカラッと笑う。
「あのな、結ちゃん」
やたさんは私に視線を合わせるように屈みこんだ。
「心に付いた引っかき傷は、放っておいても治るもんと治らへんもんがあるんやに」
「…引っかき傷…」
「薬売りはんがちょいっと付けた傷跡は、結ちゃんにとってどっちやと思う?」
「…………」
黙り込む私をやたさんは優しい瞳で見つめた。
「慣れへん下駄の鼻緒で出来る擦り傷とはちゃう。気ぃ付いたら傷が治ってたんーなんて簡単には行かんよ」
「やたさん…」
「ぶつかって初めてわかる気持ちもあるんっちゃう?」
…そう言えば、私は薬売りさんに食いついてみたことがあっただろうか?
薬売りさんが一枚上手なのもあるけれど。
あの不思議な色の瞳の奥に隠されている本心を知るのが怖くて、先に目を逸らしていたのはいつだって私の方だ。
(あの晩の薬売りさんの瞳は…揺れてたっけな…)
思い出すだけでぎゅーっと苦しくなる。
でも。
でもきっと今は逃げて曖昧にしたらいけない時なんじゃないかって…
やたさんの言葉のお陰もあるけれど、なんか心の中で警鐘が鳴ってる。
「…うん…!やたさん、ありがとう」
「んー?」
「やたさんのお陰でなんかすっきりしました…!」
ちょっぴり晴れ晴れした顔を見せた私に、やたさんはニッと笑いかけた。
屈託のない笑顔に私もつられて笑ってしまう。
「あら、楽しそうにして」
そんな私達を見て絹江さんは冷やかすように続けた。
「結ちゃんったらぁ。薬売りさんが拗ねちゃうわよー?」
「あ、あはは……」
中途半端に笑う私に絹江さんは苦笑う。
「…少しお散歩でも行ったら?弥勒くんもさ!若い者達が揃いも揃ってクサクサしてないで!ね!?」
「わ、ちょ、絹江さん!」
そして彼女は、短くなった髪を弄っていた弥勒くんと私の背中をぐいぐいと押していく。
「でも!絹江さんそのお腹で宿のお仕事…!」
絹江さんのお腹は順調に大きく育っている。
この前聞いた話だと、そろそろ生まれてくるのも近いそうだ。
「だーいじょうぶ!少しくらい動いたほうが無事に生まれるんだからー」
「そうなんですか?」
「そうよ…あ!ほら、またお腹で暴れてる!」
絹江さんは私の手を取ると、そっと自分のお腹にあてた。
何度かこうして触らせてくれるけど、私は何だか気恥ずかしくて…
いつもはにかみながら絹江さんを見て笑うのだった。
「早く出ておいで〜みんな待ってるからね」
優しい笑みを浮かべる絹江さんは、私の手を取ったまま自分のお腹を撫でて語りかける。
(わ……)
そんな時の絹江さんは、本当に綺麗で…
"お母さん"になるってこんなにも幸せなんだ。
私はそんな事をぼんやり考えて、ぽかぽかと温まるような気持ちになっていた。
でも、それと同時に何故かどこか淋しいのもあった。
それはどこか不安に似ていて、それなのに私にはその原因が見つからない。
(…それに私は…)
この赤ちゃんが生まれる時に、ここに居られるだろうか。
絹江さんと赤ちゃんの姿を、見られるだろうか…
ほんの少し暗い気持ちに飲み込まれそうになった時。
「よし!結!ちょっとぷらぷらするか!」
「そうよ!今は物見のお客も多いから町もにぎわってるから楽しいわよ」
「八咫烏様も行きますか?」
うきうきと弾みながら弥勒くんがやたさんに声を掛けた。
でも彼はふにゃんっと笑うと、
「ええよ、二人で行っといで〜」
ひらひらと手を振った。
「よし、じゃあ行こう!結!」
「うん、じゃあ行ってきます」
笑いながら手を二人に私も手を振り返すと、弥勒くんと二人で大通りに急いだ。
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