ひとりじょうず | ナノ




第一章
   └十七



気がつくと、さっきまでの屋敷など跡形もなく。



私達はだだっ広い野原にいた。


白無垢も元通りの浴衣に戻っている。


あの煌びやかな飾りも、流れてきた雅楽も、全ては狐のまやかしだったのだろうか。





『…さぁ、そろそろ扇屋に戻りましょう。夜が明けてしまいます』

「………あの…」

『はい?』




薬売りさんが支えていた腕を緩めて私の顔を覗き込む。


…が。





『…結?』




私は再びへたり込んでしまった。




「こ…腰が抜けました…」



力なく笑う私を見て、薬売りさんが呆れたように溜め息を吐く。





『…仕方ないですね』

「え??」



薬売りさんは黙ってしゃがんで私に背中を向けた。




「あの…」

『早くしないと気が変わります』

「は、はい!」



私はおずおずと手を伸ばし、薬売りさんの背中にぎゅっとしがみついた。









『九尾の狐と言うのは絶世の美女に化けたそうです。その美貌に魅入って国を駄目にした男もいるほどだそうですよ』

「へぇ」

『まぁ…遠い国の話ですから本当かはわかりませんけどね』




暗い夜道を、薬売りさんにおぶわれながら進む。

ゆっくりと、ゆらゆら揺られながら。




「遠い国…珠子さんと小太郎さんの故郷ですかね」

『さぁ…』




そっと空を見上げる。


金銀の星のような二匹の狐の姿はもう見えない。






「…無事に還れると良いですね」




私が呟くと、薬売りさんはピタリと歩みを止めた。





『…残念ですか?』

「…?何がですか?」

『小太郎がいなくなって』

「えぇ?」





何だって今日は薬売りさんはこんな質問ばっかりなんだろう。




そりゃ、正反対な二人かも知れないけど。


それは私をおびき寄せる為の優しさだったのだし。




薬売りさんの顔を覗き込もうにも、背中からじゃ全く見えない。





「何で小太郎さんの話になるんですか?」

『別に』

「あのぉ…私、残念だなんて一言も…」

『ふん、あんなに手をしっかりと握り合っていた癖に』

「あれは……じゃ、じゃあ薬売りさんは!?」

『…何です?』




薬売りさんが少しだけ後ろに顔を傾ける。




「…いつ珠子さんと知り合ったんですか?」

『…つい最近ですよ』

「美人の未亡人…」

『間違っていないじゃないですか』

「…絶品の煮物まで食べて…」




薬売りさんは何も答えずに再び歩き出した。





『煮物が美味かったから斬らなかった訳じゃありません』

「え?」

『…彼女の店に行ったとき、"紅い髪飾りはすすめない"と言っていたんです』

「紅い…髪飾り…」

『恐らく彼女は小太郎が妖狐の紅玉を使って何かをしているのに気がついていた。彼女なりの注意勧告だったのでしょうね』

「薬売りさんに止めてほしかったってことですか?」

『いや…彼女の力や小太郎との主従関係から見て、私に頼む必要など無かったでしょう』





宿のある商店街にさしかかる頃、薬売りさんは再び足を止めた。






「薬売りさん?」





薬売りさんは通りの一角を見つめている。


何かの跡地だろうか?



軒並み並んでいる店の間にぽっかりと空いた敷地は、少しだけ違和感がある。







(あれ…?)




暗くてよく見えないが、角に何かがある。






(…彼岸花?)





紅い彼岸花が数輪、暗闇の中でぼんやりと光っているように見えた。






『…彼岸花は、狐花とも呼ばれます』

「…!」





薬売りさんはそれ以上何も言わなかった。





今日は…


今日はもしかしたら珠子さんのご主人の命日だったのかも知れない。




七回忌である今日、全てを消し去ろうと決めていたのだろうか。


ご主人との思い出も、交わした言葉も、確かめ合った愛も…




それまでは、彼と愛し合った"人間"の珠子さんでいたかったのかも知れない。







(…だから薬売りさんに…)





恐らくここは、ご主人との思い出の詰まったお店があった場所なのだろう。


紅い紅い狐花を供えて、全てを消し去った…




(小太郎さんも、きっと珠子さん達の愛の深さを知っていたから…)






珠子さんを責めることなく、自分だけが悪者になって一族の血を守ろうとしたのだろう。


そして自分のせいで奔走する小太郎さんを珠子さんも、止めるのは忍びなかった…





やるせない気持ちに、涙が出そうになる。


無意識にギュッと薬売りさんにしがみつくと、薬売りさんは優しく私の手を包んだ。






『…妖狐は賢い怪です。きっと紅玉に思い出を吸い取らせて故郷に還りましたよ』




思いがけない薬売りさんの優しい声音に、とうとう涙があふれてしまった。





『…まったく』



薬売りさんはそう呟いたあと、まるで子供をあやすように私の手をさすり続けてくれた。


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