第六章
└十八
八咫烏は器用に鯵の開きの骨を外していく。
薬売りは不機嫌さを隠す事無くそれを見つめていた。
「…まぁ、あんたが何者であろうと、それはええんやに」
八咫烏はペロッと自分の指先を舐めると、再び薬売りに視線を投げる。
「なぁなぁ、もうひとつ聞いてもええ?」
『…嫌です』
「薬売りはんって…」
『……どうせ聞くならいちいち了解取ろうとしないでください』
うんざり顔の薬売りを見て八咫烏がケラケラ笑う。
そしてフッと笑みを止めると、首を傾げて続けた。
「…どうして結ちゃんを連れてきたんや?」
『……っ!』
八咫烏の質問に薬売りの心臓が跳ねた。
明らかに目の色が変わった彼を見て、八咫烏が少し目を細める。
「あの子が胸の奥に抱えとるもんは…とんでもないもんやで」
『…………』
「あんたはそれに薄々気付いてるはずや」
八咫烏の目に映る薬売りの表情は、いつもの飄々としたものではなく。
無表情ながらも、微かな動揺が見て取れた。
…もっとも、八咫烏だから気付く程度のものだったが。
「何があったかはわからへんけど…ほんまの敵はあんたが思っとるものとはちゃうかも知れへんで?」
『な…っ!』
薬売りの眉がピクリと動いて、八咫烏を睨みつけるように見つめた。
八咫烏は困ったように笑いながら溜息を吐くと、ひらひらと手を振る。
「ちゃうちゃう、俺っちゃうってば!」
『………じゃあ』
「あーそれは俺にもわからへんよ」
『…………』
「それを見極めるのはあんたの仕事やろ」
薬売りは苛立たしげに息を吐くと、手にしていたお猪口を傾けた。
「結ちゃんを守りたいんやろ?」
『…………』
「そのつもりで連れてきたんっちゃうの?」
八咫烏の一言に、薬売りは口を噤んだ。
…なぜ連れてきた?
こうして面と向かって問われたら、その答えを明言できない。
衝動的に伸ばしたこの手に、理由を付けるなど。
ましてやその理由を結に知られるなど…
絶対に…出来ない。
「なぁ…あんたが結ちゃんを持て余すなら…」
八咫烏の声に薬売りはハッと視線を上げた。
「俺が連れて帰ってもええやろか?」
二人の座る卓だけ、しんと水を打ったように静まり返った。
周囲の喧騒がやたらと遠く感じる。
薬売りはその切れ長の目を、丸く見開いて言葉を失っていた。
――連れて行く?
結を…?
自分の側から、結が、いなくなる…?
自分の指先が冷えた気がして、薬売りは箸を持つ手に力を込めてみる。
少しだけ震えた指先は、感覚があるような無いような。
八咫烏は目の前の男の瞳が揺れているのを、少しホッとしたように見ていた。
そしてさっき綺麗に外した鯵の開きの骨を手に取る。
「…まぁ…結ちゃんの抱えるもんを見つけながら、あんたもちゃんと自分に向き合えばええ」
『…………』
「それが出来んのなら、俺が連れてく。これでも俺、神様やから〜悪いようにはしやせんよ〜」
八咫烏はヘラッと笑うと、干物特有の骨に付いた少しカリカリに焼けている魚の身にパクリとかぶり付いた。
『…あ……』
「ん??」
『…そこ、食べたかったのに…』
「実はここが一番美味いやでね〜〜」
二人の会話は、やっぱり噛み合わなく。
薬売りは、フッとその表情を緩めると黙々と酒を呑んだ。
『…理由はどうであれ…』
自分の耳にも届くか届かないかの小さな声。
八咫烏はそれに気付かず女将に酒の肴を注文している。
『手放せるなら…とっくにしてるんですよ…』
少し自嘲気味に呟くと、薬売りも八咫烏に続いて酒の追加を頼んだ。
そんな薬売りの姿に八咫烏は嬉しそうに笑った。
「お、長い夜になりそうやね〜」
『…早く帰りたいんですよ、本当は』
「そんならじゃんじゃん追加の注文しなきゃ〜」
…やっぱり噛み合わないまま夜は更けるのだった。
― 第六章・了 ―
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