第六章
└十五
「…今日は夕陽が綺麗だね」
「…………」
静かになった部屋で、私は弥勒くんと二人きりだった。
でも彼はさっきから黙ったまま、ジッと自分の手を見ている。
薬売りさんはやたさんに引き摺られるようにして街に飲みに行ってしまった。
(…意気投合って雰囲気、ではなかったけど…)
それでも大人の男の人は、お酒でそれなりに打ち解けられるんだろう。
「…そう考えるとお酒ってすごいな…」
それに比べて、この部屋の静けさったらどういうことだろう。
「…俺、さ」
「…!」
思わず溜息を吐きそうになっていると、弥勒くんが少しずつ話し始めた。
私は窓辺に向けていた体を、彼の方へと直して耳を傾ける。
「俺、ずっと手が欲しかったんだ」
「て…って、手?」
「うん」
そう言って彼は自分の手を握ったり開いたりした。
「それに、言葉も。人間みたいに…ううん、人間になりたかったんだよ」
ニカッと笑う弥勒くんは、そのまま優しい眼差しで私を見る。
その瞳は、懐かしい丘の人懐っこい烏のそれで。
私の胸はぎゅっと締め付けられた。
「…ずっと、結。君を助けてあげたかった」
「私…?」
「うん、あの丘で結に会うようになってから…泣く結をどうにか元気にしたくて」
穏やかな表情で、弥勒くんが私の手を取る。
じんわりと伝わってくる温もり。
それがあまりに優しくて、無性に泣きたくなった。
「助けて…あげたかった。なんで悲しんでるのかも、ちゃんと知りたかった」
「……………」
―さっき、やたさんに問われた弥勒くん。
少しの沈黙の後、彼はきゅっと唇を結んでこう答えた。
「俺は…俺の目標は、いま遂げている途中です」
「…ほぉ…途中ってどういう意味やろか?」
「ずっと…"護る"って、悪い奴から遠ざける事だって思ってたんです。でも…」
弥勒くんはそこで言葉を切ると、ふと私の方へ視線を向けた。
「"護る"ってたぶんそう言うのだけじゃなくて…側にいて、進みたい道に進めるように支えるのもあると思って…」
正座した膝の上でぎゅっと両手を握る彼を、やたさんは目を細めて見ている。
弥勒くんは、少し照れくさそうに頬を染めると、まっすぐにやたさんを見つめ返した。
「だから…!俺の目標は、まだ遂げている途中です!」
「…ふふ」
「へ?」
「ふはははは!!よし!合格や!!」
やたさんは目を丸くする弥勒くんの頭をぐりぐりと撫で回し、嬉しそうに笑う。
そして少し身を屈めて、弥勒くんの目をじっと見た。
「…ええか?八咫烏は導きの神。導きと言うのは正しい方へと向けるように手助けするもんや。でも…その"正しい方"は例え神様でも勝手に決めてええももんではあらへん」
「八咫烏様…」
「それを決められるまで見守るのも、導きというもんや」
やたさんの言葉に、弥勒くんはじっと涙を堪えているように見えた。
「俺の力を分け与えたんやから…きっと弥勒には成し遂げられると思っとるよ」
ふにゃんと笑うやたさんに、弥勒くんは力強く頷いたのだった。
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