番外章(四)
└十五
「ん…痛…」
弾かれるような感触を頬に感じて、思わず眉を顰めた。
『結!?目を覚ましなさい!結!』
「う…ん……」
ようやく覚醒した頭で目の前の顔をジッと見つめてみる。
「く…すり売りさん?」
『…大丈夫ですか?』
困惑と安堵が一気に押し寄せて、私は力なく笑った。
薬売りさんは私を抱き起こしながら、フッと肩の力を抜く。
その姿を見て、私はまた少し笑った。
「あれ…?須王くん達は…?」
周囲を見渡してみても、さっきまでの光景とはまったく違う。
私が流されてしまったとしても、あまりに静かで…
(みんな大丈夫だったのかな…!?)
須王くんと萩野さんの事を思って不安で一杯になった。
無事に逃げられたのだろうか…
「薬売りさん、ここに来るまでに誰か見ませんでしたか!?」
『…はぁ?』
「あの、私と同じくらいの男の子と…あとお婆さん!」
『結、落ち着きなさい』
「ちょっと不思議な着物で…あ、お婆さんは神社の巫女さんみたいな…」
『結!!』
しがみつく様に薬売りさんの着物を掴んでいた手を、彼がぎゅっと握った。
そして、そのままそっと私のおでこに自分のおでこをコツンとくっつける。
「!?」
『…熱は、無いですね。落ちた時に頭を打ちましたか』
薬売りさんは淡々とした口調で、私の後頭部にたんこぶが無いか確認した。
自分の話を薬売りさんが信じてくれていないのだと、すぐに気づいて私はムッとしてしまう。
「薬売りさん!私、冗談を言ってるんじゃないんです!さっき鉄砲水で…」
必死に抗議していると、彼の肩越しにあるものを見つけて私は言葉を飲み込んだ。
「あれ…なんで…」
薬売りさんの肩越しに、小さな古びた祠が見える。
それは間違いなく、崖の上で見た歌織さんのための祠だった。
でも、そこにさっきのような野花は無く…
「でも…何で?私、ここから流されたはずじゃ…」
よく確認してみれば、自分の着物がちっとも濡れていない事に気づく。
もう一度辺りを見回してみると、すぐ近くに翡翠色の川が流れているのがわかった。
(おかしいな…ここがさっきの崖なら、もっと川は低いはず…)
この状況に頭が着いていかない。
言葉が出ないまま、何で何でという疑問ばかりがぐるぐる回る。
薬売りさんは私の視線を一緒に追いながら、少し考える仕草を見せている。
そして、ふぅっと一つ溜息を吐くと私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
『…別に冗談と思ってる訳じゃないですよ』
「薬売りさん…」
『話は後でゆっくり聞きますから…』
「え、わ…っ」
そう言って少し笑うと、地面に座ったまま私を膝に乗せた。
「く、薬売りさ…」
『…無事ぐらい確かめさせなさい』
そう言うと、私の肩口に顔を埋めた。
気恥ずかしさに混じって、心配かけてしまったんだという罪悪感を改めて感じる…
「あ、あのごめんなさい…ドジばっかりで…」
『いや…あれは…私の注意も遅かったですから』
薬売りさんのあまりに優しい言葉に拍子抜けしてしまう。
(さっきまでとどっちが夢かといったら…今だよねぇ…)
『…怪我は?』
「あ、足を少し捻ったけれど…さっき冷やしてもらったからだいぶ良くなってます」
『…………』
薬売りさんはふと顔を上げると、また少し考えるような表情を見せた。
「……?」
『……さて。結が滑落したおかげで目的地にだいぶ近づきました』
「え?そうなんですか?」
『もう少しで着きますから、日が暮れる前に行きますよ』
そう言って、薬売りさんは私を膝から下ろしてそのまま背を向けた。
「…?薬売りさん?」
『…二回目』
「え?」
『結を背負うのは二回目ですね』
「あ……」
薬売りさんの行動の意味を理解して、カァッと頬に熱が集まる。
「こ、小太郎さんの時と…二回目ですね」
『…そこでなぜ小太郎の名前なんですかね』
「ゴメンナサイ…」
私はおずおずと薬売りさんの背中に身を預けた。
ゆっくりと立ち上がった薬売りさんが、クスッと小さく笑う。
そして私をおぶったまま、さくさくと歩き始めた。
『…で?』
「え?」
『…教えてください、結が経験したことを』
私は薬売りさんの柔らかい声に促されて、さっきまでの出来事を話し始めた。
→15/17[*前] [次#]
[目次]
[しおりを挟む]