ひとりじょうず | ナノ




番外章(四)
   └八



「はぁ…はぁ…」



走りに走って辿り着いたのは、川に迫り出した小さな崖の上だった。

川はいつもの様相と違い、轟音を立てて濁り、うねり荒ぶっていた。




「母上…!」



遠巻きに様子を伺う村人達の間から、母上の姿を探した。



しかし目に入ってきたのは、胡散臭い神主…

そしてそれを傍らに見ている、親父の一行だった。




「あ…!須王様…!」



茂みに隠れる俺を見つけた一人の村人が、驚きの声を上げた。

それに気づいた親父は視線をこちらに向ける。




「須王、お前もこちらに来い」

「…っの野郎…!」



俺は怒りに任せて、親父の前に飛び出した。





「おい!これは一体………っ」



親父に詰め寄ろうとしたその時。




「は…母上…!」



この目に飛び込んできたのは、大柱に縛り付けられる母上の姿だった。





母上は、暴れるでもなく叫ぶでもなく…

崖の先に立たされ、なされるがまま、虚ろな目で空を見つめていた。




「須王坊ちゃま…!」

「萩野!」



親父の従者達に押さえつけられた萩野が悲痛な声で叫ぶ。




「親父…何て事を…!今すぐ母上を離せ!」

「…全く…何度言っても口の聞き方を知らない奴だな」

「うるさい!!さっさとこの胡散臭い神主を止めろよ!!」



俺が掴み掛かるも、親父はやれやれと言ったように扇をぱちんっと閉じた。




「いいか、須王。あれが水神の神社の出である事は知っているな?」

「何だよ今更!」

「喚くな!…最近のこの一帯の水害は水神の怒りのせいだ。だから水神の巫女を還す…それだけの事だ」

「水神様が怒ってるとしたら、親父が母上を大事にしないからだろ!?」



俺の言葉を受けて、親父はフッと唇の端を上げる。

そして冷たい目で言い放った。




「…大事?十分だろう?…見た目も良く、不思議な神通力もあると言うから大枚叩いてあれの親を黙らせたんだ」

「金で買ったみたいに言うな!どうせ無理矢理連れてきたんだろ!?」

「ふん…それで我が妻になり嫡男も産ませてもらい…しかしあれはどうだ?お前を産んだ途端に神通力も失った。それだけでも価値が下がったのに気まで触れて…」

「……この…っ!!」



あまりにひどい言葉の羅列に、全身が粟立つのがわかる。

白くなるほど握り締めた拳を、力任せに振るい上げた。





どっ…




「う…ぐ…っ」

「…母の旅立ちだ。大人しく見てろ」



しかし俺が一歩踏み込むと同時に、従者の刀鞘が鳩尾にめり込んだ。





「…ごほっ…は、母上…」



俺が倒れこんだのを見ると、親父はうっすら笑いを浮かべて扇を広げる。

気を抜けば霞んでしまう視界に、変わらず崖際に立たされた母上の姿がぼやけて映った。



どうにか母上の方に行こうと、力の入らない体を起こす。



その時一際大きく川の濁流の音が響いた気がした。

正しいのかいい加減なのかわからない、神主がバサバサと榊を振った。





「よし…始めよ」



親父の声が冷たく響く。

金で雇われたのであろう村人数人が、号令にあわせておどおどと母上に近寄っていった。




「やめ…止めろーー!!」



俺の声に、村人はビクッと震えた。

しかし、親父の咳払いにぎゅっと目を瞑って一歩一歩、足を進める。




「親父…いや、父上!今すぐこんな事止め……」



最後の望みを込めて、親父を振り返るも…

親父の乗った牛車の御簾が風で翻る。



…その脇に、女物の着物の端が見えた。





「……あ…」



その瞬間、咄嗟に思ったのは母上の事だった。



母上には見えてなかっただろうか。


その少女のような瞳に、この悲しい出来事が…

これ以上、心を痛めるような出来事を見なくて済んだろうか。





「…もたもたするな!早く巫女を水神の御元に還せ!」







――周辺の全ての音が消えた気がした。



雇われた村人は、念仏でも唱えているのだろう。

泣きそうな顔で何かをぶつぶつと言いながら、大柱を力任せに押した。



ぐらりと大柱が揺れる。

そして川に向かってゆっくりと倒れた。



俺は母上に走りよろうと足を踏み込んだ。

それと同時に、今までぼんやりと空を見つめていた母上が微かに振り返る。




「……す…おう…」

「―――っ!!」




唇が小さく、でも確かに、俺の名前を呼んだ。

その頬に、光る一筋の涙を流して。






どどぉぉおおおおお…………っ





そして母上は…清らかな白い光を纏ったまま、川に飲まれていった。





「…は…はうえ……」





俺は力なくその場に崩れ落ちた。

その時、俺は瞬きも呼吸さえも出来ていたのかわからない。




「歌織様……っ」



萩野の絶望した声と周囲に居た村人が顔を覆ってすすり泣く声。

ついさっきまで轟音を上げていた川が、いつの間にか静まり返っていた。





「…母上……母上ーーーーーー!!!!」




……日暮の声が悲しく響く、夏の日の別れだった。



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