第一章
└十三
どこからともなく、雅楽が聞こえてくる。
「綺麗ですよ、お嬢さん」
私の隣ではにこにこと笑う、小太郎さん…
ピコピコと動く耳、ふわりと揺らめく尻尾…
(狐だ…やっぱり狐だ…何度見ても狐だ…)
私は思わずギュッと手に力を入れた。
さっきと違うのは、相変わらず声は出ないけども、ある程度体が動くようになった事だ。
と言っても、自由に動くのはせいぜい手くらい。
あとは何かに操られてるかのように体が勝手に動くのだ。
(私、このままどうなってしまうんだろう…)
ゾクリと冷たい汗が背中を走る。
小太郎さんと祝言と言うだけじゃ、きっと済まないんだろう。
殺されてしまうのか、喰われてしまうのか…
そんな事を考えていたらジワジワと涙があふれて来た。
こわい…こわいよ…
零れた涙がぽたぽたと手の甲に落ちる。
(薬売りさん…薬売りさん…薬売りさん…!!)
―ちりん…っ
「――っ!!」
この音は…
「…何の音だ?」
小太郎さんも気付いたようで、ぴくぴくと耳を動かした。
(…薬売りさん…)
この鈴の音は薬売りさんの…
(薬売りさん…!)
剣に付いている鈴の音…!!
(薬売りさん!!薬売りさん…!!)
私は何度も彼の名を呼ぶ。
でも虚しく口がパクパクと動くだけだった。
「…追ってきたか」
そう呟いて小太郎さんが私に向き直る。
そして、私の両頬を手で覆うと冷たい目で微笑んだ。
「お嬢さん…時間がありません。お嬢さんのお名前を教えて下さい?」
紅く燃えるような瞳が私を見据える。
(――だめっ)
直感で思った。
小太郎さんに名前を教えたら、ダメだ…!!
(薬売りさん…薬売りさん…!!)
私は声にならないまま、何度も薬売りさんを呼ぶ。
そんな私を見て、小太郎さんはフッと口元を歪めると、
「強情な娘ですね」
冷たい指先で私の唇をなぞった。
「!?」
今まで頑なに閉じていた口がうっすらと開く。
そして言葉を発しようと、喉の奥が微かに熱くなった。
(ダメ…名前を言ってはダメ…!)
「…う…ぁ…」
「そう、あなたの名前を…」
「…っく…ん…っ」
小太郎さんがニヤリと笑う。
「…っり…さん…!」
(…一か八か…!!)
私はぎゅっと目を瞑ると思いきって自ら口を開いた。
「薬売りさん!薬売りさん!薬売りさん…っ!!!」
ちりんっ!
「…!」
ハッとして目を開くと、目の前に薬売りさんの退魔の剣があった。
小太郎さんが忌々しそうに剣を見たあと、ゆっくりとその持ち主の方に目を向けた。
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