第一章
└十四
いつになく眉間に深い皺を寄せた薬売りさんが、今にも斬り掛かりそうな目で小太郎さんを見下ろしている。
『…自由を奪ってまで自分の手中に収めようとは…落ちぶれたもんだな、妖狐』
「ふん…やはりお前か」
二人の間を冷えた風が走る。
『ひとまず…その手をどかしてもらおうか』
薬売りさんはそう言うと、退魔の剣を小太郎さんに向けた。
「…くっ」
『早く』
それに応じるように小太郎さんは私の頬から手を引いた。
そして薬売りさんと間合いを取るように少しだけ後ろに下がっていく。
私は思わず、ほぅっと息を吐くと涙でぐちゃぐちゃになった顔を薬売りさんの方に向けた。
「あ…く…薬売り…さん…」
まだ上手く発せない声で、睨み合ったままの横顔に声を掛けると、一瞬だけ、薬売りさんはこちらを見てふっと微笑んだ。
『…もう大丈夫ですから。泣くんじゃありません』
私は無言でコクリと頷いた。
そして、それを確認したかのようにもう一度微笑むと、再び小太郎さんの方を睨みつけた。
『理由を聞かせてもらおうか、妖狐』
「…邪魔をしたお前に何も話す事などないわ」
不貞腐れたように笑う小太郎さん。
薬売りさんの眉がぴくりと動く。
『…刻まれたいか?』
「…っ!!」
凍り付きそうなほどに冷めた声で言い捨てると、薬売りさんは剣を小太郎さんの鼻先に突きつけた。
「…仕方がないだろう!もう、妖狐の一族は俺しかいないんだから!!」
小太郎さんは悔しそうに歯噛みしながら叫んだ。
「え…小太郎さんしか、いない…?」
剣を突きつけられたまま、小太郎さんが続ける。
「…俺は元々この国のモノノ怪じゃない。子孫を守るため、我が主を守るためこの国に来た。…でも、もう妖狐の血を残せるのは…っ」
小太郎さんの紅い目が揺れる。
「例え人間の血が混じろうとも、このまま血を絶やす訳にはいかぬ…そう思っているときに現れたのが、お嬢さん、あなただ」
「え…私…?」
私はギクリとして、身を縮めた。
「…白く無垢なものほど、よく染まる」
小太郎さんが私の方を見て、クスッと笑う。
そして細められた目の先は、私の頭に移った。
「…あ、簪…?」
小太郎さんにもらった、紅玉の簪…
これは小太郎さんの罠だったんだ。
だとすれば、強引に押しつけてきたのもうなずける。
『あの紅玉は人の心を吸い取り、惑わし、そして意のままに操る…妖狐が得意とする術だ』
「…ふん、其処までわかっていたのか。まぁ…今回は失敗だったが」
『…名前が足りなかった』
ぽつりと薬売りさんが呟くと、小太郎さんは唇を噛みしめた。
「お嬢さんは勘がいい。知って知らずか、名前を口にしなかった」
『…………』
「…もういい…」
ふぅっと一息吐くと、小太郎さんは薬売りさんに笑顔を向けた。
「斬るんだろう?」
(…!!)
そうだ…薬売りさんはモノノ怪を…
「く、薬売りさん…」
思わず薬売りさんに声を掛ける。
薬売りさんは何も言わずに私の頭から簪を抜いた。
そしてそれを床に投げると、足を思い切り踏み下ろす。
パリンッ
砕ける音と一緒に小太郎さんは、俯いたまま小さく笑った。
「―もう良い、小太郎」
(え…?)
急に鈴の音が鳴るような軽やかな声が舞い込んできた。
声の方に目を向けると屋敷の庭先の暗闇から、一人の女性がゆっくりと歩いてくる。
『…珠子さん』
「え?」
薬売りさんと私に向けて、その女性はにこりと笑った。
(わ…綺麗…)
その笑顔は同性の私が見てもドキッとするくらい綺麗で、私はついつい珠子さんに釘付けになってしまう。
「珠子さま…」
小太郎さんが泣きそうな顔で、珠子さんに跪いた。
「…小太郎、苦労掛けたな」
珠子さんは小太郎さんの肩に手を置くと、私達に向き直った。
「薬売りさん、お嬢さん、この度は我が家臣が失礼した」
そう言って深々と頭を下げる。
「え…あの、どういう…」
戸惑う私に反して薬売りさんは冷静に珠子さんを見据えている。
『…あなたも妖狐、ですね?』
薬売りさんの言葉に、珠子さんは笑顔で応えた。
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