ひとりじょうず | ナノ




第五章
   └三




すたーーーーんっ




まるで魔法でも掛かったかのように、ものすごい速さで襖が開いた。


慌てて振り返ると、そこには肩で息をする絹江さんが立っている。

私はあまりに異様な絹江さんの様子に、思わず薬売りさんの腕を振りほどいて、襖のほうに身を乗り出した。




「き、絹江さん!?どうし…」

『…ちっ』

「え!舌打ち!?」



薬売りさんは忌々しそうに絹江さんに視線を送った。





「イチャついてるところごめんね…」

「ち、違…っ」

「結ちゃん…私…私このままじゃ…」




絹江さんは思い詰めた様な表情を浮かべて、縋るように私を見た。





(え、ど、どうし…!?)



私が立ち上がって、絹江さんの方へ行こうとした時だった。




「絹江さ…」

「きーーーーーぬーーーーーえーーーーーー!!!!」

「えええぇぇえ!?」




轟く様な声が辺りに響く。

私たちはビクッと肩を揺らして身構えた。


間も無くすごい音を立てて階段を上る足音が聞こえた。

他の宿泊客もなんだなんだと、部屋からこちらを伺ってる。




「絹江!!!」

「は、はいぃぃ!!」



鬼の形相をした庄造さんが、がっと絹江さんの肩を掴んだ。






「絹江!この馬鹿!」

「はぁ!?」

「歩き回るな!冷やすな!重いもの持つな!!てゆーか動くな!!!!!」

「えええ!!!」




庄造さんは矢継ぎ早に絹江さんを叱り付ける。

私が呆気に取られていると、絹江さんはうんざりした様子で呟いた。




「…もう昨日からこんな有様なのよ…」

「へ、へぇ…」




私たちがぼそぼそ言い合っているのを庄造さんがキッと睨んだ。





「結ちゃんからも言ってやってくれよ!もう絹江一人の体じゃないのに!今朝なんて洗濯物干すわ、掃除しようとするわ…!」

「え、えーと…それは仕方ないんじゃ…」

「いーーや!!腹ん中の赤ん坊に何かあってからじゃ遅いんだ!さ、絹江!お前は布団に包まって休んでろ!」

「え、ちょ、ぎゃぁ!!下ろしてよ!!」




庄造さんは昨夜のように絹江さんを担ぐと、どたどたと階段を下りていってしまった。

他のお客さん達も、冷やかしの笑いと苦笑いが混じったような顔で各々の部屋に引っ込んでいく。





「…………」

『…結』




ぽかーんとしている私を、薬売りさんは溜め息を吐きながら呼んだ。





「あ、はい…うわぁ!」



振り返った私は、返事をする間も無く薬売りさんに強く腕を引かれて倒れこんでしまう。

そのまま薬売りさんの腕に受け止められて、間近に彼の顔が迫った。





「え…いたっ!!」



薬売りさんの尖った犬歯が視界に映ったかと思うと、それはそのまま私の鼻に噛み付いた。

目を白黒させて薬売りさんを見れば…



『…ふん』




にやりと笑ったどや顔…。




(う……)




一気に熱くなった体を強張らせると、薬売りさんは尚も楽しそうに笑う。






『…で、何の話でしたっけ?』

「………な、何でしたっけ…」




何か…

何か上手くはぐらかされた気がする…



納得できない気分を抱えながらも、少しだけ反転した世界で見上げる薬売りさんの表情は優しくて…





かりっ





「……って痛いですよ!」

『…手ぬぐい、大事に…』

「…!!」

『…してやらない事もない、ですよ』

「………はぁ…」




再び噛まれた鼻先をさすりながら、私はなんだかんだいって平和なこの時間に身を投じたのだった。




『…溜め息とは生意気な…』

「ご、ごめんなさい」



― 第五章・小話 了 ―
あとがきに続く


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