ひとりじょうず | ナノ




第五章
   └二十三



―――あれはもうだいぶ前のこと。



(ずいぶんと寂れた町だな…)



旅の途中、通りかかった町。

山間の小さな町だが、確か農耕が盛んと聞いていた。


しかし、そんな活気は微塵も無く、むしろ廃村の様にすら感じられた。




「あんた旅の人かい?」



ふと声を掛けられて振り向くと、手拭いで顔を覆った女性がいた。

彼女は少しだけ俺を観察するように見ると、微妙な距離を取って話し始めた。




「…見慣れない格好だし、やっぱり旅の者だろ?ここで一休みするつもりなら止めておきな」

『なぜ…それにここには人がいないようですが』

「…この辺の住民はほとんど流行り病にやられちまったよ」

『…流行り病?』



俺が聞き返すと、女性は嘆かわしげに首を振った。




「そう…ちょっと前にあった大雨続きで農作物もダメになっちまってね。それに加えて急に流行り病も…」

『それはそれは…』




きっと大雨で川の流れが、良からぬものまで運んできたのだろう。

洪水と病の蔓延…よくある話だ。


自分が病にやられるとは、微塵も思わないが…





(しかし…厄介事も面倒だな…)



俺は女性にお礼を言うと、足早に町を通り抜けようとした。





やがて町外れに着いた頃。

ふと、町の終わりを告げる道祖神に目をやった。


その傍に立つ木に、肩で息をしながら一人の男が凭れている。

男はゆっくりと薬売りに視線を向けると、何かを請うように口を動かした。





『…………』




最初は物乞いかとも思ったが、よく見ると彼の持ち物は旅の準備。

何かしらの事情があると見て、男の傍に寄っていった。




「旅…の人、です…か?この先、の…町の方まで…行きますか…?」



少し掠れた声で男は俺に問いかける。

俺は持っていた水筒から彼に水を飲ませた。




「あ、ありがとう…はぁ…」




男は嬉しそうに目を細める。


水害のあった町では、きっと満足に水も飲めなかったろう。

潤った口で、さっきよりもはっきりとした口調で男が続ける。




「この先の町まで行くのなら…ひとつ頼まれて欲しい」



そして男は時折顔を歪めながら、話を始めた。




「…僕はこの先の町から出稼ぎに来てたんだ…」




――………


出稼ぎの理由は…少し前に京島原で、ある女郎に出会ってね。




「胡蝶と申します」



…一目惚れだった。

妖艶で、そのくせ幼気で。



僕は彼女の元へ通い詰めた。



情を交わしたかっただけじゃない。

彼女の笑顔が見たかった。



何度でも、毎日でも、何時間でも…



しかしそう過す内に、彼女はさめざめと泣いてこう言ったんだ。




「あなたと居るのが辛い、住む世界が違いすぎる」



…僕は元々は老舗の呉服屋の跡取りだったから。

彼女の元に行くのに、親父と喧嘩なんかもしたしね。



でも。



「だったら僕が君を請け出しするよ」




彼女の笑顔が見たかった。

あの朱い鳥籠から彼女を逃がしてやりたかった。



これは自己満足かも知れない、彼女はそう望んでないかもしれない。


それでも、そういった僕に彼女は泣きながら

「嬉しい…ありがとう」

って、笑ったんだよ。



…でも、僕自身は呉服屋の跡取りってだけで、金が湧いて出る訳ではないからね。

ありったけの請け出し代を掻き集めたら、親に勘当されてしまった。


僕たちは二人で生きていくと決めて、京を出た。


慎ましく暮らしていければそれで良かった。

貧しさよりも、彼女が隣に居ない方が辛かった。



前よりも少し地味な着物で、彼女は変わらないままの笑顔で笑う。

それだけで、貧しさなどどうでもいいと思えた。


たまらなく幸せだった。



でも…それだけじゃ生活が出来ないことは、世間知らずの僕にだってわかる。




「あのさ…出稼ぎに出ようと思うんだ」

「…どうして?今の生活でも私…」

「違うんだ、僕の勝手なんだ。つまらない男の意地だよ」



ある日、僕は意を決して彼女に提案した。


しかし彼女は悲しそうに目を伏せる。

粗末な綿の着物に、ぽつぽつと涙が沁みていった。




「…来てごらん」



僕は彼女の手を取ると、そっと縁側に連れて行った。

すっかり暗くなった庭先を、古びた蝋燭で照らす。



「…まぁ…あれは?」

「牡丹の葉だよ」



庭先に小さな花壇を作った。

そして、安く譲ってもらった牡丹をたくさん植えたんだ。




「…初めて君に会った日、君は見事な牡丹の着物を着てた」

「覚えていてくれたの…?」

「勿論だよ。艶やかな牡丹の花が君によく似合っていた」



見つめる彼女の瞳が、更に涙で濡れた。

僕はそっと、前より少し痩せた小さな体を抱きしめた。




「きっと、君にまた牡丹の着物を作ろう。綺麗な帯もだ。僕は君の着物に惚れた訳じゃないけれど…女房に着物ひとつ買ってやれない甲斐性無しでは、格好がつかないからね」




彼女は何も言わず、僕の胸にしがみつくようにして泣いた。




「…戻ってきたら、子供を作って…そして毎年この牡丹をみんなで眺めよう」

「う…っひっく…」

「だから…僕を待っていてくれる?」



―――………


「う、げほ…っ!」

『…大丈夫ですか?』



男はここまで話すと大きく咳き込んだ。

俺は再び彼に水を飲ませた。




「…っはぁ…ありがとう…」



ゆっくりと息を整えながら、彼が小さく笑う。




『…しかし…胡蝶さんがまだ待っているという保証は?』

「…そうだな、もしかしたらまた女郎に戻ってあの町にはいないかも、な」




男は懐かしそうに微笑みながら、「彼女はとても綺麗だから…」と、呟いた。

しかしすぐに俺の方を見てこう言った。




「…旅のお方、女郎蜘蛛って知ってるかい?」

『えぇ、まぁ…』



そちらが専門分野だから、とは言わなかったが。




「僕はね、彼女は女郎蜘蛛だと思うんだ」

『え…!?』



随分と不穏なことを暢気に言うもんだと、半ば呆れ気味に彼に聞き返す。




「…昔、ね。祖父に聞いた話なんだけど…僕の祖先に女郎蜘蛛と情を交わした男が居たらしい。本来、男を取って喰う恐ろしいモノノ怪なんだそうだが、一度惚れるとそれは一途で健気なモノノ怪なんだって。そして、その女郎蜘蛛は不思議な糸を織り込んだ、見事な着物を着ていたそうだ…祖父に見せられた着物は、確かに金糸でも銀糸でもない、不思議な糸が織り込まれてたよ」

『…………』

「初めて遊郭に行ったとき…彼女もそれによく似た着物を着ていた。とても…美しい牡丹の…僕はね、彼女も女郎蜘蛛だと思うんだ…だからきっと…僕を待ってる」




そこまで言うと、男の柔らかな目尻に涙を浮かべた。




「きっと…一人で僕を待ってる…淋しくて泣いているかも知れない…」

『……………』

「せめて…この体を…彼女に差し出せたら…でも…もう、こんなに痩せて…病にも侵されて…彼女の元に帰ることも、この体を差し出すことも叶わなくなってしまった…」




そう言うと、彼は懐を探ると震える手で俺に何かを渡してきた。





『…簪?』

「…着物は買えなかったけど、牡丹の簪を…彼女に」




苦しそうに咳き込む彼に水を差しだしたが、今度は首を振って拒絶された。

そして、涙を流しながら俺に語りかける。




「本当は…彼女の元まで帰りたかった、けど…もう無理そう、だ…」

『…………』

「や、弥生…僕の牡丹のような…美しい…や、よい…待たせ、てごめん…傍に居られな、くて…どうか…自由に…弥生…幸、せ…に…」




其処にいない影を追うように、涙を流しながら呟く彼の瞳はもう開かれることは無かった。



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