第五章
└二十
― 五ノ幕 ―
高かった太陽がやや傾き、日陰がやや肌寒く感じ始めた頃。
台所で客に出す夕餉の仕度をする庄造の元に絹江がやってきた。
「はぁ…っもう何が何だか…!」
薬売りが飛び出していった後、小松屋の主人を適当にあしらうと苛々したまま台所に来た。
「何だよ、カリカリして」
驚いたように庄造が話しかける。
すると、絹江は苛立ちと戸惑いが入り混じったような複雑な表情で庄造を見つめた。
「…あのさ。薬売りさんのことなんだけど…」
「あぁ、どうした?」
「あの人さ…結ちゃんのこと大事にしてるじゃない?」
「あー、そりゃもう大事にしまくってるよな!」
暢気に笑う庄造とは反対に、絹江は難しい顔をして俯いた。
「ねぇ…それってさ、どうしてかな…?」
「えぇ?そりゃー好きだから、じゃねーの?」
「うん…まぁそうなんだろうけど…」
歯切れ悪く答える絹江に、庄造は小気味よく動かしていた包丁を止めた。
「何だよ、他にあるか?」
絹江は庄造の方を見ずに、俯いたまま答える。
「今回の事もそうなんだけど…」
「うん」
「薬売りさんって、結ちゃんの事、閉じ込めておきたいんじゃないかって思うときがあるのよね」
思いがけない絹江の言葉に、庄造は眉を顰める。
「好きだから、可愛いから心配ってのも勿論あるんだろうし、結ちゃんの今の状況からすると過保護にもなるわ。私だってそれは一緒よ」
「…………」
「でも…時々思うのよ」
そう言って絹江はフッと窓の外を見た。
「…彼、結ちゃんのこと自分の手の中に納めておきたいんじゃないかしら…。ほら、幼い子が小鳥や珍しい虫なんか見つけてさ、こう…両手で包んで逃がさないように…」
絹江は自分の両手を丸く合わせてみせた。
「そして籠の中で…逃げないように、ただ籠に閉じ込めてずっと眺めている、みたいな…」
庄造が小さく喉を鳴らした。
「お、お前…それは勘ぐりすぎだろう」
「でも…!」
「それに閉じ込めたいほど可愛いってんなら、文句ねぇじゃねーか」
庄造の楽観的な言葉に、絹江は口を尖らせる。
「…可愛いからって閉じ込めてるのなんて…愛情とは違うわ。ただの執着よ…そんなの、あんたが一番よくわかってるでしょう?」
「………っ…」
言ってしまった後に、絹江はハッとする。
庄造にとって、それがどんなに辛いことか…
今更話す必要なんてなかったのに。
「ご、ごめん…ちょっとカッとしちゃって…」
「ん。いや、気にするなよ」
眉を下げて笑う庄造に、絹江はもう一度小さくごめんと呟いて、少しだけ力の込められた庄造の手に自分の手を重ねた。
「ばぁか、気にするなって言ってるだろ!それより、味見するか?今日の煮物は美味く出来たぞ〜」
屈託ない庄造の笑顔に、絹江も眉間の皺を緩めた。
「…ありがとう、でもいいわ。なんか聞きたい事も聞けないし、年寄りの話は長いし、結ちゃんは心配だしで胃の辺りがムカムカするのよ」
「なんだよ、じゃあ一段落したら一杯やるか?」
クイッとお猪口を傾ける仕草に、絹江は笑う。
「そうね、じゃあ煮物、少し取っておいてね!…よし、泥んこ達が帰ってくる前にお風呂の準備でもしてくるわ!」
「あいよー」
台所から去っていく絹江の背中を見送りながら、庄造は呟く。
「…相変わらず、鋭いねぇ…」
肩を竦めると、再び包丁を動かすのだった。
→21/35[*前] [次#]
[目次]
[しおりを挟む]