第五章
└十五
― 四ノ幕 ―
あれから二日過ぎ、結が最後の仕事に出掛けた後。
「…薬売りさん」
散歩に出ようとする薬売りに声を掛けてきたのは、絹江だった。
『…女将』
薬売りは、絹江に声を掛けられるとたいてい説教を食らうため、若干及び腰で返事をする。
「少し…話せますか?」
いつに無く真剣な絹江の表情に、薬売りはこっそりと息を飲んだ。
コトリと音を立てて、湯のみが置かれる。
少しだけ張り詰めた空気の中で、暢気に湯気が踊った。
「…もう遊郭通いはやめたの?」
『ぶふっ』
薬売りは唐突な質問に、啜りかけたお茶を噴出した。
『お…女将。あそこは正確には遊郭じゃなくて岡場所と言って…』
「そんなことはどっちでもいいんです」
どっちでもよくは無いだろう、と薬売りは思う。
…が、そんな事を言える空気ではない。
――正確には、遊郭は公許の女郎屋であり、岡場所は私娼屋の集まり。
要するに、格式高い遊郭と違い気分的にも金銭的にも、もう少し気楽に遊べる歓楽街だ。
薬売りがつい先日まで通っていた紅葉(もみじ)もそこの遊女。
岡場所勤めだからこそ、この前の祭にフラフラ出歩き、ごろつきに絡まれてたのだ。
(…まぁ好都合だったが…)
それに…今はそんな事話したところで火に油を注ぐだけだろう。
「はぁ…っ、私だってね薬売りさんが健康な成人男性だってのは百も承知ですよ」
『は、はぁ…』
「でも…あぁ!もう!今日聞きたいのはそんな事じゃないのよ!」
絹江は苛立ちを飲み込み歯噛みした。
そして真っ直ぐに薬売りを見る。
「…薬売りさん、あなた、結ちゃんのこと…」
「おぉ〜い絹ちゃん!いるかい〜?」
絹江が話し始めるとほぼ同時に裏口からのんびりした声が掛かった。
「んもうっ!誰よ!こんな時に!」
プリプリと怒りながら絹江が振り返る。
「あ!小松屋さん!!」
聞いたことのある名前に、薬売りは手にしていた湯飲みを置いた。
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