ひとりじょうず | ナノ




第一章
   └九




「…お帰りなさーい」





もう宿屋のみんなが寝静まった頃。


薬売りさんは静かに部屋に帰ってきた。





「う…お酒くさい…」

『美しい未亡人相手で、ついつい進んでしまいました』




私に背を向けながら、薬売りさんは小さく欠伸をする。




「美しい…未亡人…ふぅん」




薬売りさんも女の人の話とかするんだ…

宿屋に泊まっているお客さんの話ではよく聞くけど。



やれ何処の女は色白で良いとか、やれ其処の女は情に厚くて良いとか。




(そっか…薬売りさんだって…男の人…なんだし)






ドクンッ





「う…っ」



急に心臓が跳ねて、思わず胸を抑えた。





いい年の男女が毎晩一緒にいてどうなっているのかなんて…






絹江さんの声が頭をグルグルと回る。





『…結?』

「ひゃ、ひゃい!」



明らかに挙動不審の私を、薬売りさんが訝しげに見ていた。



『…なんですか、おかしな顔をして』

「い、いえ、何でも…」






落ち着け、私。



確かに薬売りさんは男の人だ。

でも、私とどうこうなるなんて、そんなわけありっこない。



さっきの話を聞いてても、きっと薬売りさんは色香漂う美人が好きなはず。





(そうだよ、私みたいな小娘なんて…)



「………」





自分で言ってて、落ち込んできてしまった…




「馬鹿みた………いぃ!?」





不意に顎を持ち上げられ、間抜けな声を上げてしまう。

持ち上げられた先には、薬売りさんの顔が間近に迫っていた。




(な、なんか朝からこんなんばっかり…)



「な、なんですか…?」

『…結は…』




心なしか薬売りさんの目が怖い。




『小太郎の様な男が好みですか?』

「えぇ…?」

『…簪をもらって頬を染めているぐらいですから、好みなのでしょう?』





お酒の匂いがする。


まだお酒を飲んだ事のない私には、結構つらい。

なんだか匂いだけでこちらまで酔ってしまいそうだ。




「…いえ、別に…あの、酔ってるんですか?」



薬売りさんの手から逃れながら、後ろに下がる。

すると薬売りさんがズイっと、迫った。




「ちょ、薬売りさ…」




私が下がれば、薬売りさんが迫る。




(な、何なのこの状況…)




無表情で顔色一つ変えずに、間近に迫る薬売りさん。

全く持って何を考えているのか、私には知る由もない。





とんっ


「あ……」




やがて私は壁際まで追い詰められ、薬売りさんにじぃっと見据えられる。





『結』




薬売りさんは私の顔の横で壁に手をつくと、また一気に距離を縮めた。





「…っ!!薬売りさん!!何なんですか!」



耐えきれずに私が叫ぶと、一瞬ムッとした表情を見せる。




『何って…質問してるんですよ。あぁいう男が好みなのか、と』

「い、いやだから別に…」

『ほぉ…じゃあ何で簪を受け取ったんです?』

「それは…断り切れなくて…」

『突き返せば良かったでしょう』

「そ、それはそうなんですけど…」

『…………』




薬売りさんは容赦なく私に冷たい視線をぶつけると、すっと顔を近づけてきた。




「え、ちょ…」




壁に押しつけられてる状態の私には、当然逃げ場もなく…





(わ…!)



私が反射的にギュッと目をつぶった。






カリッ



「…んんっ!?」





柔らかさと痛みを鼻に感じて、思わず声が漏れる。





…え?




鼻?????





どうやら私は薬売りさんに鼻を噛まれたらしい。




『…ふっ、またおかしな顔になってますよ』



固まる私を見下ろして、薬売りさんがニヤッと笑った。




そしてそのまま立ち上がると、さっさと襖の方に歩いていき


『私は湯を浴びてきます。結は先に寝てなさい』

そう言って部屋を出て行った。







「……………び………びっくりした………」




全身の力が抜ける…





ただ、心臓だけがうるさくて、顔が熱い。

こんなになるまでびっくりしたのって初めてかも知れない。





(そっか、薬売りさん…)




私は何とも言えない気持ちで、薬売りさんの出て行った襖を見つめた。





(気付かないなんて…私馬鹿だ…)





「やっぱり…小太郎さんみたいな人、嫌いなんだなぁ…」


ひとり、納得しながら私は布団に潜った。


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