番外章(三)
└九
「…まだ、帰ってない…」
お風呂から上がって部屋に戻ると、がらんとした闇が広がる。
薬売りさんはまだ帰ってない。
部屋に戻る途中で会った弥勒くんは、
「結きちんと温まったか?俺…今日は早めに寝床に戻るよ!風邪ひくなよ!」
「あ、み、弥勒くん!」
矢継ぎ早に話すと、外に飛び出していってしまった。
「…ひとり、だ」
薄暗い部屋は、いつも以上に広くて寒々しく感じた。
最近、薬売りさんは帰りが遅い。
少し酔って帰って来る事もあった。
でも、前みたいに酔って私をからかうことは少なくなったように思う。
「……ひとり…」
どうしよう。
なんだか淋しい。
じわじわと視界が歪んで、ぽたぽたと畳に涙が落ちた。
薬売りさんは帰ってくると早々にお風呂に向かってしまう。
『先に寝てなさい』
背中を向けたまま、いつもの台詞。
「たくさん…話したいことがあるのに…」
その背中を見送って、どんなに頑張っていても薬売りさんが戻るまでに私は眠りに落ちてしまう。
そして次の朝には、忙しそうに薬箱を用意する薬売りさんの背中を見て目覚めるのだ。
「………たくさん…っ」
薬売りさんは何て言うだろうか。
私がこれからしたい事。
最近、夜になると眠くて仕方無い事。
『大人しくしてなさい』
『…ただ結がねぼすけなだけでしょう』
あの呆れた表情を浮かべながら、鼻で笑うだろうか。
「…ふふっ、想像できるし…」
そして、今日の弥勒くんの話…
私に初めて会ったときに、誰かがそばにいなかっただろうか。
「う…っ」
あの時一瞬浮かんだ誰かを思い出し、私の頭はまた鈍く痛んだ。
私は頭を抱えながら、窓辺にもたれ掛かった。
さっき降り始めた雨は、霧のように辺りを煙らせる。
まるで自分の心のようで、なんだか異様に不安になった。
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