番外章(二)
└十
「…ん……」
しばらくして私が目を覚ます頃には、もう日は高く昇ってた。
「き、絹江…!!」
右手に感触を感じて、視線を向けると真っ赤な目をした庄造がいたの。
さっきと変わらず、ぼろぼろ泣きながらね。
ぎゅうっと握り締める手におでこを摺り寄せて。
「絹江…!よかっ……」
「…いつまで泣いてるのよ、情けない」
…そう言いながら気づいたのよ。
庄造の手は氷のように冷たくて、少し震えてた。
(なぁんだ…やっぱりいい奴なんじゃない…)
「お、俺…とんでもない事を…」
「…あんたが何したって言うのよ」
泣きはらした目とか見てたらなんかたまらなくなってさ。
「この傷も痛みも…そう、この痛みは産みの苦しみって奴よ!」
「…は、はぁ?」
「夜中、復讐のために生きたあんたは死んだの。そしてこの傷から新しく生まれてきたのよ」
「………」
自分でもおかしい事を言ってると思うわ。
どこか感情の箍が外れてたんでしょうね。
「あんたの母親はもういないの。庄造、あんたはこれから復讐のためでもなく恨みのためでもなく…」
私はしっかりと庄造の手を握り返した。
「私のために生きるのよ」
「………っ」
庄造の目が潤んで、少しずつ顔がゆがんでいくのがはっきり見えた。
「…ぶっ…」
「??」
「ぶは…っ!あはははは!」
そしたら急に笑い始めたのよ。
まったく失礼よね。
「な、何笑ってるのよ!」
「いや…っそうか、うははっ!絹江が俺の母ちゃん…っぶふっ!!」
「何か文句あるの!?てゆーか泣くか笑うかどっちかにしなさいよ!」
「はははっ!お前だって!泣くか怒るかどっちかにしろよ!」
庄造の笑顔は、まるで子供みたいでね。
本当に本当に嬉しかったなぁ…
「絹ちゃん!!」
「お、女将さん!」
そんな時、部屋の戸が勢いよくあけられて女将さんが入ってきたの。
「女将さん…ご迷惑を…」
どさっ!
女将さんは、一度首を横に振ると持っていた荷物を床に置いたの。
「…これ…?」
「あんたたちの荷物!絹ちゃん、起きられる!?」
「あ、う、うん…」
ゆっくりと体を起こすと、多少痛みはあったけど起きることはできたわ。
「…あんた達、すぐにこの町を出て逃げな!」
「えぇ!?」
「京宮の坊ちゃんがあんたの事探してるよ!今は買出しに出てることにして誤魔化してるけど…もう時間の問題!すぐにでも出る準備をしなさい!」
私達は顔を見合わせた。
本当なら、今日の夕刻までに京宮のご一行は出る予定だったんだもの。
お抱えの料理人がいないとなると…そりゃぁ大騒ぎよね。
「あ…でもそれなら絹江は…」
「え…」
「怪我もあるし、俺だけ姿を消せば…」
庄造の一言を聞いた女将さんが、ぽかっと頭を叩いた。
「いっ!?」
「馬鹿言ってるんじゃないよ!自分だけ逃げようとして!」
「女将さん!?」
「あんたはこの子の体の傷の責任があるでしょ!?それにこの子が大人しくあんたの言うこと聞くと思ってるのかい!?」
庄造は確かに…とでも言いたげに私を見てたわ。
まぁ…ご名答な訳だけど…
「無理に走ったりしなきゃあ大丈夫だろ」
「あ、じじぃ…」
「先生と呼ばんかい!命の恩人に向かって!」
いつの間にか戸口に立っていたじじ…先生が私に向かって荷物を投げた。
「何これ?」
「しばらくの薬と手当ての道具」
風呂敷を広げた私に、ひとつひとつ指をさしながら説明してくれた。
「これは化膿止め、傷口は毎日綺麗にしてこれを塗る。もし熱が出たり痛みが酷かったらこれ。それで…」
「…じじ…先生…」
驚いて見ている私に先生はニカッと笑ってね。
「ほぉ!絹江が初めてきちんと呼んだわい!」
「っ!何よ、大げさに!これだからじじぃは!」
「なぬっ!?」
私たちの様子を見て、女将さんと庄造も笑ってたなぁ。
「さ、絹ちゃん!ゆっくり起きて…裏口から出なさい」
女将さんに促されて、私達は部屋を出た。
私は振り返って女将さん…叔母さんをじっと見つめたの。
「女将さん…私…何も恩返しできなくて…」
「絹ちゃん…」
「…ただ…叔母と姪ってだけで引き取ってくれて…叔父さんも嫌な顔しないで私の事雇ってくれたし…それなのに私…!」
叔母さんは何も言わずに、ぎゅうっと抱きしめてくれた。
「…兄さんと義姉さんが亡くなって…すぐに決めたのよ。あんたの親になるって」
「叔母さん…」
「大事な忘れ形見だと思ってたけど…今じゃ大事な大事なうちの娘よ」
叔母さんは涙を堪えながら優しく目を細めた。
「…二つ程先の町にね。知り合いがやってる宿屋があるの。"扇屋"って言うんだけどね」
「扇屋?」
「そう。その人達、子供に恵まれなくてね。もう宿屋を畳もうかと思ってるらしいの」
「…そうなんだ…?」
最初は叔母さんの言ってる意味がわからなかったわ。
叔母さんは庄造と私を交互に見て、また笑ったの。
「絹ちゃん。あんた客商売の素質がある。そこの宿屋を継ぐってのはどうだい?」
「え!?私が!?」
「そうよ。もういい料理人もいるし…ね?」
「え…あ、庄造?」
私と庄造が顔を見合わせると、叔母さんは私の肩をぽんっと叩いて笑う。
「絹ちゃん、あんたは私の娘だもの!きっといい女将になれるわ!」
「お、叔母さん…」
「さ!早く行きなさい!料理人のあんたも、絹ちゃんの事頼んだよ!」
「は、はい!!」
…そうして私達は女将さんと先生に見送られながら、町を出たの。
山道は結構険しくて、傷もたまに痛んで…
でも、庄造に握られた手だけが本当に頼もしくてね。
不安よりも、わくわくした感じかな?
ふふ、おかしいわよね、逃げてるって言うのに。
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