「うん、高瀬も?」
「そう」
聞けば、俺の通う大学と高瀬の通う大学は地下鉄二駅分の距離しかなかった。進学から一年と三ヶ月、見かけなかったことが逆に驚きだと思う僕に反し、高瀬は「偶然だな、ほんと。なんか嬉しいな」と、あまり見たことのない顔をした。
いや、そもそも俺と高瀬の関係はそんなんじゃない。再会を喜び合うような仲ではなかったはずなんだ。高瀬と初めて言葉を交わしたのは高校三年の春。
「三年一組の嶋岡真広です」
新学期二日目、早々に委員会の顔合わせがあり各クラス一人ずつが順番に挨拶をした。俺は一年二年と順調に図書委員で、三年になってもそれは揺るがなかった。そして三年目その場に、高瀬がいた。
「三年五組の高瀬朔人です」と、抑揚のない自己紹介に、ああじゃんけんで負けたんだろうなと、無理矢理押し付けられたんだろうなと、何となく察した。他にもそうであろう子は何人かいたし、そういうパターンの子はお昼や放課後の当番もサボりがちになる。俺としてはその分図書室に足を運ぶ理由が出来て、迷惑になることはないから構わないのだけど。
とにかく、そう決めつけるほどに高瀬は無表情でそこに居たのだ。その日まで喋ったことはなかったし、特に仲良くなる雰囲気も無かったから驚いたのだ。「委員長はシマで、副は…高瀬で頼むわ〜」と、担当の先生が無差別に言い放った後、高瀬が俺に「よろしく」などと言うから。
えっ、と思わず声が出ていたかもしれない。それでも、ああ、うん、と偉そうな返事をした覚えはちゃんとあって。
その日以来、俺と高瀬は“図書委員”という繋がりをもった。それだけだった。
「シマ」と、少し低めに俺を呼ぶ高瀬は、一ヶ月経っても掴めない存在のまま。いや、たった一ヶ月で何か掴もうという方が間違いなのか。それも曖昧で、ただ雲みたいな人だと思っておけば良いかと、これまた勝手に決め込んでいた。
あの日からの回想に耽りそうになる俺を止めたのは高瀬の手で、肩から離れたそれはそのまま二の腕を辿って手首に移動した。
「今から、時間ある?」
「え?」
「飯でも行かないかなって」
飯でも行こうよ、なんて…そんな、関係だっただろうか…
───…
「へー、すごいね、カクテルの種類たくさんある」
「シマ飲める?」
「…あんまり」
「じゃあ、ソフトドリンクにするか」
高瀬に連れられてきたのは彼のバイト先だという洒落た居酒屋だった。店員さんを待つ少しの沈黙に、二人きりでご飯を食べるという微妙な気まずさを感じつつ向かいに座る高瀬を盗み見ると二年前より大人びた首筋が目をひいた。
「あー、高瀬さんだ。友達ですか?友達つれてくるなんて初めてですね」
「そうだっけ」
「そうですよ。何飲みますか」
「ウーロン茶二つ」
「はいはい」
「あと適当に出して」
「はいはい、じゃあ少しお待ちください」
こうしてよく見ると、高瀬は変わっていないようで随分と変わったように感じる。高校の頃より雰囲気が柔らかくなったところ、高校の頃より髪が短いのに大人っぽく見えるところ、少しだけ体格がよくなったところ。それに比べたら俺は全然変わってないだろう、だから高瀬も気づけたのかもしれない。
「シマ、今こっち住んでるの?」
「あ、うん。一応」
「一応?」
「んー、いろいろあって、夏休みから実家戻ろうかなって思ってる」
「そうなんだ」
高校生らしいさきほどのバイトの男の子が飲み物と少しのつまみを運んできてくれ、俺を横目で見て「中身多くしときました」と小声で囁いて去っていった。飲み会や宴会をするような広いところでも、安さが売りのチェーン店でもない、知る人ぞ知る、というほどひっそりしたところでもない。けれど殺風景や雑多でない店内は妙に落ち着くものだった。
「高瀬は?」
「俺もこっちに住んでる」
「そっか」
冷たいウーロン茶を一口喉に流し込み、チーズの包まれた厚焼き玉子を箸でつまむ。なんというか、何を話したら良いか分からないし、昔話をして盛り上がるほど思い出があるわけでもない。高瀬はどうしてご飯になんか誘ってくれたんだろうと、そんな疑問が浮かぶ。
「あ…おいしい」
「良かった 。これもうまいよ」
「……ほんとだ、美味しい」
「……変わってないな、シマ」
「え?」
「いや、懐かしいなって」
「…高瀬は、変わったね。見た目が少し」
「そうか?でも、俺のこと分かったじゃん」
そりゃそうだ。高校三年の、一年間が一番身近で、何より高瀬はその一年間でひどく印象的だった。気だるげに、けれど一度もサボることなく委員会活動に参加していたことも、俺の問いかけにはきちんと答えてくれて、意外なことに“本を読む”ということが好きだったことも。自分と同じ本を読んで、丁寧に感想を述べたり疑問を口にする彼に、俺は無差別にいい奴だなと、そう思っていた。
「シマ、今でも図書館とか通ってんの?」
「へっ、あ…大学の図書館なら。わりと毎日」
「そっか。駅前の市民図書館とかは」
「あんまり行かない、かな。あそこ、受験生で席埋まること多いから、行っても借りて帰るだけとか」
「あー、確かに。俺もたまに行くけど、探すと結構なんでもあるよ」
「そうなんだ、知らなかった」
高瀬は、それからほどよい距離感と間で話を続けてくれた。対して仲が良かったわけではないはずなのに、まるで普通の友人みたいだと錯覚するくらいには、時間が経つのは早かった。
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