Tiger x Lotus | ナノ

07 

夏だ。

「蓮くん」

夏休みに入り、一週間が経った頃。
初日に行った旅行が、もう少しだけ遠退いていた。何度も抱き合って、シャワーを浴びて、予定していたより寝てしまって、帰りの新幹線に慌てて乗り込んだ。嫌だな、まだ帰りたくないなと頭の中でその言葉を繰り返し、でも繋いだ手の感触に安堵していた。

そして帰ってきた次の日からは昼間もバイトに入るようになり、それは虎も同じで。ただ虎は相変わらず二つのバイトを掛け持ちしているから大変そうだった。朝から夕方までは本棚に囲まれた喫茶店で、夜からはあのバーで。だるそうにしていながらも真面目に行く彼の背中を撫でるのが、最近の習慣。
去年と同じような、けれど全然違う。そんな夏休み。そんなことを考えていた、エアコンの効いた図書館で。そしてその声に振り向く。

「カオリさん!」

同じく夏休みに入った小学生や、受験生らしい若者で設置されたテーブルや椅子はほとんど埋まっていた。その中に不似合いなショートカットの綺麗すぎるが、僕に軽く手を振っていた。

「ふふ、こんにちは」

「こんにちは」

「ほら、龍もご挨拶」

彼女の足の長さを強調するようなマキシ丈のスカートの向こうから、見慣れた顔が僕を覗いた。

「こん、にちは」

「こんにちは、龍くん」

膝を曲げて視線を合わせれば、幼い目に自分が映った。春休みに預かったあの日から数回一緒に過ごした仲だけど、ここで会うのは初めてだった。

「ここでバイトしてるのは知ってたんだけど、なかなか龍を連れてきてあげられなくて」

僕と同じようにしゃがんだカオリさんは、形の良い目を細めて息子の鼻を軽く摘まんだ。

「龍、蓮くんにお礼言いたいんでしょ?」

「…うん、れん、くん」

一瞬目を伏せた龍くんはすぐにもう一度僕を見て、切れ切れに言った。

「くまさん、あり、がとう」

「修学旅行のお土産、虎から受け取ったの。なにも言わなかったけど、あのぬいぐるみ、蓮くんが選んでくれたんでしょう?」

そうだ、修学旅行で行った北海道。水族館での自由行動があって、お土産売り場で目についたシロクマのぬいぐるみ。真っ白の毛に可愛らしいつぶらな瞳で、ぱっと浮かんだ龍くんの顔。せっかくだからとお土産として買って帰ったのだ。残念ながらそれから彼に会うことなく、それは虎がカオリさんを通して本人に渡してくれたらしかった。

「どういたしまして」

「くまさんもとらさんも、お気に入りだもんね」

僅かに頬を赤くして頷く仕草があまりにも可愛らしくて、そっとその頭を撫でた。柔らかな髪が抵抗なく指の間を通り、龍くんはふわりと笑った。

「良かった、気に入ってもらえて」

「蓮くん」

「はい」

「いつもありがとう」

「へ?」

柄のないシンプルな白のTシャツから伸びる細い腕を膝にのせたカオリさんが、また微笑む。こうして見ると、やっぱり良く似ている。カオリさんに子供がいるってことに衝撃を受けた頃が懐かしく感じるほど、今は違和感がない。

「龍のこと。気にかけてくれて」

「ああ、いえ、僕が好きでやってるだけですから」

「…ほんとに、いい男だね」

華奢な手がのびてきて、それは僕の頭に触れた。状況を理解して、恥ずかしさに目をそらしてしまった。それから爽やかな香りを漂わせて立ち上がった彼女は、そっと僕の頭から手をはずした。

「よし、龍。蓮くんに絵本選んでもらおっか」

「何が、オススメ?」

「あ…はい」

慌てて立ち上がり、二人を絵本コーナーへと導く。僕らの腰程度の高さしかない本棚には、形も大きさもバラバラな絵本が並んでいる。毎月変わるオススメコーナー。今月置かれているのは、夏らしい青にクジラが泳ぐ絵が描かれた絵本と、ひまわりと女の子が描かれた絵本、そしてかぶと虫が空を飛ぶ表紙の絵本がある。三冊のそれももちろんオススメだけれど、個人的に好きなものを低い棚から探し出す。

そんな僕の隣にぺたりとお尻をつけて座り込んだ龍くんは、じっとその様子を見つめていた。そんな姿を横目に、目当てのものを一つ棚から抜く。ウサギとライオンのお話だ。柔らかいタッチで描かれたその絵本は、僕が今でも読みたくなるもの。自然界ではあり得ない二匹が友達になるお話だ。

「龍くんうさぎは好き?」

「…うさぎ…?うん、すき」

それを胸に抱き、もう一つを探す。
それは一人ぼっちの鳥が旅をする話。いろんな風景や景色を鮮やかに表現して描かれたそれは、きっととても印象に残るだろう。どのページも本当に美しく、絵本なんてと謙遜する大人にも見てほしいものだ。一人ぼっちの鳥も、その景色の中で仲間を見つけていくというもの。

「あ、あった」

「とりさん?」

「そう、鳥さん」

興味を持ってくれたのか、身を乗り出して僕の腕の中を覗く。それがたまらなく嬉しくて、また頭を撫でた。

「蓮くん。これも、借りるわ」

立ち上がると同時にカオリさんに渡された本。

「はい。じゃあ…初めてですよね?」

「ええ」

「カード、作りますね」

三冊の本を抱え、カウンターへ向かう。
図書カードを作るのは数分で終わり、レジのようにバーコードを読み取り貸し出しは完了した。

「返却は二週間後の火曜日になります。返すときは開館時間内ならカウンターに、閉館時間ならあちらに返却ポストがあるのでそちらにお願いします」

どうぞ、と龍くんに絵本を渡し、カオリさんに真新しい図書カードを差し出す。

「丁寧に説明してくれてありがとう」

「いいえ」

「虎にも見習ってほしいわ」

ふふっと笑を漏らした彼女に、良く笑うなあと少し驚いた。きっと最初に会った時より随分と笑うようになっているから。

「良かった」

意思の強そうな瞳とキリッとした眉はそのままに、どこか柔らかくなったようにも見える。

「貴方みたいな人と、龍が出会ってくれて」

「そんな、ほんとに、そんな大層なことじゃ…」

「いいえ、龍も貴方みたいな人間になってほしいと思うの」

綺麗な両手が、ゆっくりと僕の手を包みこんだ。暖かい、母親の手だ。

「心から優しい人に、ね。だから、何か困ったことがあったらわたしにも頼って」

「…ありがとう、ございます…あの、でも」

「貴方は本当にいい男よ。初めて会った時より、もっと。こんなにも素敵な人が、虎みたいな、それも男の人と付き合ってるなんて、って思ったけど…それが貴方にとってプラスになってるみたいね。強くなってるように見える」

滑らかな指が、そっと手の甲を撫でて、離れていった。

「じゃあ、また来るね。本選んでくれてありがとう」

「あ、いえ…ご利用、ありがとうございました」

「ばいばい」

カウンターの高さに負けた龍くんの身長。けれど僕を見上げる幼い顔はちゃんと見えた。

「うん、またね」

小さな掌が僕に向く。抱えきれない絵本がずるりと床に落ちた。それをカオリさんが拾い上げ、さっきの暖かな手が彼の小さな手をとった。

蓮くんが選んでくれた絵本は
龍の胸に響きそして残るだろう
彼はそれを考えてくれていたはずだ
そんな些細な優しさがこんなにも
温かくて、そしてキラキラしている


弱い僕の、弱い部分。弱さを埋めて、また違う弱さを見つける。けれど少しずつ強くなれている部分があるのだと、教えられた気がした。
去年の夏、僕らは歪な愛を産んだ。不器用で一方通行な愛だ。痛くて苦しくて、何度も泣いた。きっと虎も同じように、それ以上に、苦悩していたはず。同じ想いを抱えて一番近くに在ったのに、必死になって繋ぎ止めていた。

ふと思い出すことはあるけれど、その日々を後悔したいとは思わない。もちろん、虎を苦しめていたのだ、それ自体には後悔している。でも、その日々を消したいとは思わない。

好き。
僕も好き。

そんな簡単な言葉じゃなかったからこそ、辛い思いをしたからこそ、今こんなにも幸せを感じられるんだと思うから。痛いほどの愛を、僕らはお互いに思い知ったから。

あれから、あの“ただの幼馴染み”が壊れてから、一年経つのか。早いような遅いような、変な感じがした。歪んだ関係はあの夏から何ヵ月も続いた。本当に、変な感じだ。
見える景色が違う、毎日の中にあるありふれた出来事が愛しく思える、ただ隣にいるだけで、彼の大事さを思い知る。存在の大きさを、思い知らされる。

もうあとには引けない。そう踏み出した一歩の大きさが、今はなんでもない気さえする。覚悟は必要だったけれど、この先に待つであろう困難も不安だけれど、“大丈夫”だって自信の方が、今は大きい。こんなにも穏やかに、僕は人を愛している。歪な愛は、少しずつだけれど形を変えている。僕らなりの、カタチへ。


「帰ったら、虎の好きな甘いコーヒーを入れよう」

(ムカつくよ、お前のそういうところ)
優しさと残酷はとてもよく似ていた
(俺は何があっても蓮だけを愛すから)
愛と狂気はそれ以上に類似していて




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