Tiger x Lotus | ナノ

02 

「ふぁ〜眠てえー」

結局、湯井が部屋へ戻ってきたのは翌朝周りが活動を始めた頃だった。
正直なことを言えば居ないことに焦った。もちろん、蓮と二人きりになれるのは嬉しい。ただ、やっぱりそうなるとあれなわけで。結果としては湯井に感謝しているのだけど。

「初日からオールって俺どうしよう」

「たしか二日目の夜は旅館で七人部屋だよね」

「えー、まじで?それ確実に寝れないよな〜」

人の事を言えた義理ではないけれど、細い目をさらに細くして欠伸を惜し気もなく披露する湯井の眠さを、少し分けてほしくなった。同じ布団で何もせず寝れるはずがないと思ったものの、実際気づいたら朝で。蓮の寝息と久しぶりに感じることが出来た感触や感覚に安堵して深い眠りにつけていたのだ。おかげで相当目覚めがいい。
ひとつ言えば、自分で言ったことが恥ずかしくて蓮を直視できない。昨夜はほとんど顔なんて見えなかったからよかったものの。

「虎は優雅に朝風呂だし余裕だな」

「うるせえよ。てかもう行くけど」

「えっ!ちょ、待って、俺も…」

朝からバタバタと煩い湯井を背景に、ゆらりと蓮の腕が伸びてきた。

「曲がってる」

六月半ば、すでに衣替えは済んでいる。けれど北海道でシャツ一枚は流石に寒く、けれどブレザーやカーディガンを着るならネクタイをしなくてはならない。面倒だなと思いながらも、こうして蓮が直してくれるのは良いなと改めて感じた。

「はい、オッケ」

「ん。…あ」

「ん?」

ん?と口角を上げて小さく首を傾けた蓮の腰を引き寄せ、丁度良い位置にある額に唇を押し当てた。ふわりと香った香水は数分前につけたお互いの匂いだ。

怖いくらい幸せだと思った。それから、楽しいとも。修学旅行とか、文化祭とか、“楽しい”なんて感じたことなかったのに。蓮と気持ちが通じあってからは、こういうものも悪くないと考え方が変わったらしい。と言うよりも、そんな環境で蓮が一緒だからかもしれない。
堂々と手は繋げないけれど、肩を寄せて写真は撮れる。大嫌いな写真も、まあこういう時くらいはと許せる。

「虎、朝ご飯、行こ」

つまりその時点で、俺の思考は結構変わっているわけで。
今夜と明日の夜はもう蓮と二人きりにはなれないとわかっているだけに、貴重な時間に思える。遠慮せず手を出せばいいのにそうしないのは、自分の欲に忠実になりたくないから。蓮が拒否しないと分かっているからこそ、俺は我慢しなければならない。“安心”ほど怖いものはないのだから。蓮のことになると、弱くなるから。

「どうかした?」

「…いや、なんでもない」

決められた時間内に各自朝食をとり、賑やかな空気の中蓮は生駒に頼まれ事をされて席をたった。九時半の集合までにはまだ少し時間があるからと部屋へ戻るクラスメイトもいて、俺もそうすることにした。した、んだけれど。

「……何」

エレベーターの前で鉢合わせてしまった。

「生徒はエレベーター禁止のはずよ」

「何階だと思ってるんだよ」

アンタも乗るくせに、とは言わないで溜め息を落とした。相変わらずキツイ視線を向ける槙た。二人きりで狭いエレベーターに収まるのは嫌だ、階段で行こうと思い付いたものの、タイミングが悪かった。案の定嫌な空気が流れる。朝から良かったはずの気分も、ガコッと音をたてて閉まった扉に消されてしまった。
代わりに、それぞれの降りる階の数字が能天気にオレンジ色に光った。

「……貴方、どうしていつもそうできないの?」

「…は?」

テンポよく上昇していくエレベーターは、独特の浮遊感を足から全身へと与えてくる。それよりはるかに気分の悪くなる話だった。それも唐突な。

「今回のテストと、それからの生活態度。まだ褒められたものじゃないけれど、随分と努力しているみたいね。……何か、心境の変化でもあったのかしら」

「……別に」

「そう…まあ、結果良い方向に行くなら構わないわ」

蓮のことを言っているんだろう。
背中しか見えないけれど、槙の言いたいことはよくわかった。

「でもね、一つ言わせて」

珍しく髪を結っていないなと思った途端に振り返られ、ばちりと視線が絡む。

「園村くんの進路希望、一年生の間は調査書に同じ大学名を書いてたの。国公立の、教育学部。難しい学校だけど、彼なら行けるでしょう。でも、進級してすぐの調査書には、全く違う名前が書いてあった」

そろそろ槙の降りる階だ。頭の隅でそんなことを考えて、けれど彼女の口から紡がれるその言葉に興味を持っていた。

「私立短大の保育学科」

「…は?」

「おかしいでしょう?たった数ヵ月で」

お互い、進路の話しはしない。きっとまだそれに現実味が無いからで、蓮はちゃんと考えていると分かっても俺からは切り出せなくて。なんとなく気づいていても聞けなくて。

「生徒の選んだ道は否定したくないし、まだそれが決まりだとは思ってない。けれどこれには納得がいかないの。彼は優秀な人間なの。保育士には勿体ない」

「、お前、言い方に気を付けろ」

「貴方こそね」

またガコッと音をたてた扉。少しだけひんやりとした空気が入り込み、喉がすっと通った。無意識に息を止めていたみたいに。

「その原因は、貴方にあるんじゃないかしら?貴方達の関係や繋がりに口を出すのは止めるけど、今一時の感情で将来を決めるのはやめなさい。特に、貴方達には“普通の目標”が持てないでしょう」

「分かるわよね」とほとんど命令の様に問われ、俺は言葉をつまらせた。違う、分かっていたからだ。俺の声が言葉になるより先に、槙が扉に消された。一人取り残された狭いエレベーターは、更に三階上昇して止まった。

そうだ、カオリにも同じことを言われた。俺も蓮も同姓しか愛せないわけではないから。だからこそ、槙もカオリも口を出したのだろう。

“蓮の為”に。

「あ、虎、俺今から隣行くけど行く?」

「……」

「あれ、虎?」

部屋に戻ると、ちょうど湯井が靴を履くところだった。すぐそこにいるはずの彼の声が遠い。

「あ、てかお前携帯持ってけよ。いろいろ不便だろ」

「……ああ」

湯井はそれ以上何も言わず、代わりにオートロックのかかる音が響いた。俺はそのままそこで立ち尽くし、ドアを叩かれるまでぼーっと短い廊下の向こうに広がる一面の窓ガラスを見つめていた。

はっと覚醒したところで、再びトントンとドアが鳴った。湯井が忘れ物をしたか、蓮が帰ってきたのだろうと思った俺は、何も考えず、鍵を持っていない限り内側からしか開けることのできない重いドアを開いた。

「あ、」

それが間違いだった。

「ごめん、今、いい?」

そこにいたのは蓮でも湯井でもなかった。

「少し、話したいんだけど」

顔はわかるけれど名前がわからない。
胸の下まで伸びた緩やかなウェーブの髪が揺れた。ああ、自分が抱いた女の子だ。この甘い匂いと、着崩された制服が、ふっと脳裏を掠める。

「何」

部屋に入れるつもりなんてなかったから、そのまま彼女を見下ろすと、「部屋、入れてくれない?ここだと目立っちゃう」と、 視線が泳いだ。女子と男子では部屋の階が違うからだろう。まだ自由時間とはいえ、見つかるのは嫌なのか。

「無理。何?」

「……相変わらず冷めてるね」

長いまつ毛に縁取られた、大きな茶色の瞳に自分が映った。
蓮以外を抱かなくなって、一年近く経っているというのに、この女は今さら俺に何を言いたいんだ。そう、今さら。

「久しぶりにさ、ヤらないかなって」

細い腕が、腰に回された。本当に細い、折れそうな腕。しかしそれより嫌悪感に襲われて、思わず剥がしていた。

「戻れ」

「ちょっ、虎」

「ヤらねえ」

俺はこんな人間とセックスしていたのか。触れたいとも思わない、触れられて吐き気を催す様な相手と。

「待ってよ、だって虎最近ヤってないんでしょ?彼女ができたから遊ぶのやめたと思ったけど、そうじゃないみたいだし」

「は?」

「彼女の影とかないじゃない」

少し力を入れたら簡単に折れそうな腕を突き返し、ドアノブを握った。右手はドアノブ、左手は壁。防御出来ない一瞬の隙をつかれ、女の体が俺に寄り添い、赤い唇が頬に吸い付いてきた。

「いいじゃん、しようよ」

「、やめろ─」

「……虎?」

反射的に突き飛ばしてしまい、細い女の体はゆらりと揺れた。同時に聞こえた声は、顔を確かめなくたって分かる。

「園村くんっ」

「何、して…」

見開かれた目には、明らかに疑いの色が浮かんでいるんだろう。俺は直視できないまま、蓮を部屋へ入るよう促し、ドアを閉めた。
疚しいことはしていないのに、頭の中は必死に言葉を取り繕おうと必死になっていて。全てはあの女の所為だと決めつけてみても、そもそも悪かったのは自分な訳で。

数えきれない程恨んだ過去を、俺はまだ恨み、そして後悔している。

「蓮、」

「ごめ…」

「は?」

俯いて顔が見えない。

「なんで蓮が」

「理由も…聞かないで、ショック、受けてる…から」

え?なんて間抜けな声が漏れ、肩を掴んで顔を覗き込んだ。

「蓮」

「ごめん、」

「蓮、勘違いしなくていい。何もないから」

むしろ、そう思わせてごめんとしか…前にもこんなことがあった。俺は何も、変われていない。けれど、蓮が不安になってくれたことが少しだけ嬉しい。

「怒っていいから、謝るな」

「虎…」

蓮が、不安定だ。
昨夜から…いや、いつからだ?普段、こんなにあからさまに感情を出したりしないのに。

「ごめ、なんか…」

続けられた小さな声は、耳を寄せなければ聞こえないほどだった。でもちゃんと聞き取れた、“やっぱり女の子が隣にいる方が、良いんじゃないかって思った”という言葉。

「だから、俺は蓮しかいらない。蓮だけ」

「っ、」

「いつも言ってるだろ、俺が蓮を拒絶する時は来ないって」

あんなに良かった目覚めが嘘みたいだ。まだ一日は始まったばかり。それでも蓮とのことならばちゃんと向き合わなければ。いや、俺がそうしたいんだ。

「…蓮、今聞くことじゃないかもしれないけど、一つ聞いてもいい?」

「な、に?」

槙の冷たい目が甦る。

「進路、なんで変えたんだ」

「っ、なんで…それ」

「嫌なら答えなくていい。でも、それが俺の所為なら─」

「それは違うっ」

このままの関係が永遠に続いたとして。恐らく、“子供”が出来ない男と男だから、せめて何処かで関わりたかったのか。槙はそういうことを言いたかったんだ。

「違うよ。確かに、ずっと進路は変わらなかったけど…何処がっていうのもまだ曖昧で、薦められたところを書き続けてただけだったんだ。だから…」

柔らかく微笑んだ蓮は、まだ少し不安そうに、けれど真っ直ぐに俺を見つめた。

「やりたいなって思ったこと、他にも見つけたから。ちゃんと考えて書いたんだよ」

「でも」

「確かに、僕は自分の子供だって欲しいよ」

悲しげに細められた目に、頭を鈍器で殴られたみたいな衝撃が走った。

「でもね、それが虎とは叶わない、なら虎と別れよう、とは思わない。虎がいてくれるなら他になにも要らない。それくらいの覚悟は僕も出来てるんだよ」

さっき女の唇が触れた頬を、するりと蓮の手が撫でた。それから拭うように親指が強く押し当てられた。

「虎を好きだって時点で、覚悟は出来てたんだ」

親指が離れ、代わりに柔らかな唇が触れた。
お互いが狂おしいほど愛しているのに、不安になってすれ違う。随分と遠回りをしてみたり、傷つけたりして。でもだからこそ、こうしてまた近づくことが出来る。今までよりもっと、近くへ。

「れん、」

「ふ、ん…」

「は、ぁ」

「とら」

同じことを繰り返して、馬鹿だみたいだと思うのに。どうやっても一つになりきれない俺たちは、夢中でお互いを求めた。

そうしていなければ、
僕はまた不安になるだろうから



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