03
「飲酒喫煙等が発覚した時の処置を、知っているかな」
眉間に深いシワを刻みながら俺にそう問うたのは生徒指導の教師だった。
「黙っていないで、何か言いなさい」
「だから、俺はどうして呼び出されてるんだって聞いてるだろ」
「口を慎みなさい」
連れてこられたのは校長室で、目の前には左から生徒指導、校長、教頭という順で教師が椅子に座っている。急な呼び出しをくらったのは五限が始まってすぐのことだった。意味もわからず俺はこうして足止めをされたまま、すでに一時間半。
「愛嬌。これに、見覚えは?」
そう言って教頭が俺に見せたのは、透明な袋に入った煙草の吸い殻だった。
「これに見覚えはないかと聞いているんだ」
「ない」
「これは二年の階のトイレに落ちていたものだが」
もしかして、俺は疑われているんだろうか。
昼休み、蓮が呼び出されてギリギリまで戻って来なくて悪くなっていた機嫌が、さらに悪くなるのを感じた。ただでさえ教師に囲まれるのは不愉快なのに。
「見つけられたのは今日の昼休みだ」
「それが何」
喋っているのは生徒指導と教頭だけ。校長はじっと俺を見つめるだけで、言葉は発しない。俺がここに来てから一度も喋っていない。
「俺は煙草なんて吸わない」
生徒指導が、二人にだけ聞こえるように“鞄と制服等のポケットには入ってせんでした”と囁いた。まあ、俺にも聞こえていたからこうして鼻で笑ってしまったのだけど。そもそもどうして俺が疑われているのか分からない。
「それに、吸うにしても見つかったら厄介だって分かってて学校で吸うほど馬鹿じゃない」
「これが見つかったのは昼休みが始まってすぐだ。その前の休み時間にはなかった。つまり、吸った生徒は四限の授業中にトイレへ行って吸ったことになる」
警察か探偵気取りの生徒指導を睨み付け、仕方なく耳を傾けると「四限、二組は化学室、三、四組は外で体育。五組は選択で特別棟のそれぞれの教室にいた。六組はコンピューター室にいた。分かるだろう?四限目に教室で授業を受けていたのは愛敬、君の居る一組だけだ。そして、授業中何らかの理由をつけて教室を出たのは、体調不良で保健室に行った伊藤とトイレに席をたった愛敬、お前だけだ」と、なんとも清々しく言い切られた。すっきりした表情さえを浮かべている。
馬鹿げてる。別に疑われることはどうでもいいけれど、同じように教室を出た生徒が他にも居るのに、俺だけが疑われていることには腹が立った。伊藤はクラス一位の秀才。彼のことは端から疑わない教師たちに、日頃の行いが悪い自分を恨めと言われているみたいだった。
「愛敬。本当のことを言いなさい」
「だから吸ってないって言ってるだろ。疑うならクラスメイトでも家族でも聞けばいい」
「今ご家族に確認は取っている」
そんな埒の開かない会話を続けるうちに、帰りのショートの終わりを告げる鐘が鳴った。
「もう放課後だぞ」
「愛敬」
「親は連絡しても来ない。佳乃…母親は海外、親父は夜まで会社を出れない」
それで連絡が取れないから、こうしていつまでも気まずい空気の中にいるんだろう。呆れて漏れたため息を隠すように、ドアがノックされた。連絡が取れたんだろうかと、少し驚いたけれど違った。
「よろしいですか」と紡がれた声は、聞き慣れた声で。
「なっ、園村」
「すいません、勝手に。生駒先生から話を聞いて。どうしても言いたいことがあるんですが」
珍しく険しい表情を浮かべた蓮が、けれど堂々と校長室に足を踏み入れた。三人の教師の視線が蓮に注がれ、蓮はそれを一瞥してから俺に小さく微笑んだ。
校長室、という異質な空間に非常識にも乗り込んで来たのだ、俺も、目の前の三人も驚きを隠せないでいた。
「園村、取り込み中だ。後にしなさい」
「今じゃないとダメなんです。虎は、愛敬くんは、喫煙なんてしてません」
「園村、」
きっと、乱入して来たのが蓮じゃなかったら、俺みたいな生徒だったら、有無を言わさず追い出されるんだろう。けれど今そこに居るのは蓮だから、成績優秀、教師からの信頼も厚い蓮だから、追い出されない。
「僕が保証します」
「何勝手なことを…」
「彼が─」
ここへ来て初めて聞こえた声。掠れた声が、鼓膜を揺らした。
「園村君がそう言うのなら、それを信じましょう」
校長だった、そんなことを言ったのは。
俺の話には無反応だったくせに蓮にはあっさりと、返事をしたのだ。
「私も、あまり騒ぎ立てたくありませんし」
「しかしっ」
「それに、証拠が不十分です」
「っ、それなのに虎を疑ったんですか?」
騒ぎ立てたくない、か。
目の前に座る校長は、今まで見てきたどの校長よりも若々しく、そして凛としている。髪は綺麗に白髪だけど、禿げても薄くもなっていない。日に焼けた肌も、彼を健康的に見せている。そして濃紺のスーツがよく似合う、スッと伸びた背筋。
「園村も分かっているだろ、愛敬の普段を」
「確かに態度が悪いときはあります。でも、問題を起こしたことはありません」
「園村くんの言う通りだ。愛敬くん。疑って悪かった。帰って構わないよ」
納得のいかない顔をした生徒指導を余所に、教頭は校長に話を合わせて情けなく俺に頭を下げた。勝ち誇ったように笑ってやることも面倒で、ため息を一つ落とす。そして蓮に腕を引かれ、半ば連行されるように校長室を出た。
「愛敬くん」
やっと息苦しさから解放されたのに、また嫌な顔がそこにあった。
「槙先生」
けれど不機嫌な声でその名前を呼んだのは蓮の方で。蓮が声や表情にそんな感情を含ませるなんて稀なことだ、俺はまた驚いて、同時に昼休みにこの女に何か言われたんだろうかとふと感じた。
呼び出しの放送は、確かにこの声だった。
「虎に、何か用ですか」
「テスト前なんだから、早く帰るよう言いたかっただけよ」
言いながら、槙の視線は蓮から俺へ向けられた。どことなく表情が変わった気がしたのはきっと、気のせいじゃない。
「愛敬くん、あまり園村くんに迷惑かけないように。分かるでしょ?テスト前なのに呼び出されて、貴方彼に迷惑かけてる自覚─」
「槙先生」
また驚いた。無口そうな新しい副担任がこんなに喋ることにも、初めて話しかけられたのがそんな敵意むき出しの言葉で。槙の言いたいのは、俺が蓮の傍に居ることが気にくわない、蓮にとって俺は邪魔な存在、ということだろうか。
蓮はそれを「やめてください」と、半歩前に出て遮った。
幾瀬の様に、自分の恋路の邪魔になるから排除しようとするのではない。第三者の目から見て、俺は蓮の邪魔だから、この女は…
「僕は僕の意思で、虎と居るんです。昼休みに言いましたよね」
「だけど」
「いい加減にしてください」
否定されたってなにも感じないのに、蓮の声に孕まれた怒りが大きくなった気がした。俺のことで、蓮が怒る必要などないのに。蓮が怒ること自体珍しく、というか、蓮がここまで怒るなんて…
「僕のことを否定するのは構いませんが、僕の大事な人を侮辱することは許しません。ちゃんと見ようともしないで、人を傷つけるなんて」
俺の前に立つ蓮は盾になろうとしているみたいで、ブレザーを纏うその背中を無性に抱き締めたくなった。
「蓮、」
「帰ろう、虎」
どこまでも優しいのは知っていたし、こうして俺を庇うのもいつものこと。けれど、その為に“怒る”を選択したのには本当に驚いた。
嫌味ったらしく目を細めた槙を見下ろして、蓮の腰に片腕を回す。
「馬鹿だな…こんなに蓮を怒らせた奴、あんたが初めてだよ。俺にだけ直接言えばよかったのに」
自惚れてもいいだろうか。
引き寄せた蓮の背中は温かくて、その温度を分けてもらうように腕に力を込めた。お互いの香水の匂いが混ざって、違いなどないはずなのにそれは確かに鼻孔を擽る。
蓮に怒りを向けられた彼女が少しだけ憐れに見え、だからそれ以上は何も言わず、そのまま背中を向けた。
それでも、俺は彼女の担当である数学のテストについて「最後まで問題を解こうか」と、密やかに思った。
虎が大事、全身でそれを他人に伝えてくれた蓮を、俺は一生を懸けて守るんだろう。
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