Tiger x Lotus | ナノ

06 

本当は嫌だった。

「っ、虎待っ…て」

告白されに行け、なんて言いたくなかった。でも虎を好きなのは僕だけじゃない。そんなことは付き合う前から知っていた。虎を待つ間に降り始めた雨が、僕を醜く溶かしていくみたいだった。

キスをする度、虎の唇が僕しか知らない、それだけで充分だと思いながら、まだ独占したいと思っている。そんな、頭の中を埋め尽くす汚い考えを精一杯片隅へ追いやって、落とされるキスに答えた。

「は、ぁ…ブレザー、ハンガーに…掛けないと」

虎の部屋へ入り、家に入ってから脱ぎ始めていたブレザーをベッドに投げ捨てた虎は、そのまま僕を抱き締めそこへ押し倒した。怪我を痛めないように気を遣って。
呼び出しのメモを持ち指定された場所へ行き、帰ってきた虎は不機嫌極まりなかった。家につくまでも無言で、けれど傘の下で繋いだ手にはちゃんと力が込められていた。肩に手を置いて顔を覗き込めば、チャンスとばかりに唇が近づいてきた。

「蓮、好きだ」

本当に、どうしたんだろう。僕の問いは、虎に届くことなく深い深い口付けに消えた。
次の日、二日続けて僕は被服準備室でお昼休みを幾瀬くんと過ごした。

「蓮さん、これ、ありがとうございました」

「あ、どういたしまして」

食べ終わったお弁当を片す僕に、幾瀬くんは古い本を差し出した。それは僕が彼に貸したもので、すごく古い本だった。端はボロボロ、黄ばんだ表紙。それは僕が生まれるずっと前から父さんが持っていたもの。

「蓮さん、こういう本も読むんですね」

「え?」

「あ、蓮さんの好きな感じと、なんだか違う気がして」

「そうかな、この本の内容っていうよりは、この本自体が大切なのかも」

「何か、思い出があるんですか」

そう、ずっと前から。だから大事だし、何より「大事な人が、初めて自分から読んでくれた本なんだ」と、言葉にしてみると余計に大事に思えた。中学生の時の話だ。その時はまだ“大事”の意味が曖昧だった。それでも虎から読むと言ってくれて、面白かったと返されて、だからそれを大切にしたいと思った。

「…そう、なんですか」

「ごめん、面白くなかった?」

「あ、いえ…少し、難しかっただけです」

「確かに、一度読むだけじゃ、理解するのは難しいかも」

虎がこれを読んだのは中学一年生。きっと内容なんて全然理解出来ていなかったはず。それでも、僕には凄く嬉かったんだ。

「……に、……ですか」

「え、」

僕の聞き返しに答えることなく、ガタンと音をたてて立ち上がった幾瀬くんは、そのまま僕の手首を掴んで長机へと僕を押し倒した。大切に持っていた本は床に落ち、情けない音をたてた。傷んだ本だ、ページが剥がれてしまったかもしれない。拾いたいと思う心とは裏腹に、拘束された体は動かない。
意味が分からず、何か怒らせるようなことを言っただろうかと心配にもなって、彼を見上げた。

「幾瀬くん?」

「……そんなに、あの人が大切ですか?」

「え、」

掴まれた手首がキリキリと痛む。まだ治っていない、頭に出来たたんこぶも押し倒された時にぶつけてしまい、そこに心臓があるみたいにどくどくとと痛む。

「どうしてですか?どうして、あの人なんですか」

「あの、幾瀬く…」

「あんな…あんな、品がなくて礼儀もなってない、無節操で、貴方を大事にしない、あんな男のどこが良いんですか」

驚きすぎて、声も出なかった。

「どうして分かるんだって顔ですね。なんで…なんで分からないんですか。僕は、蓮さんが…」

体が軋む。冷たい机が背中にじわりじわりと痛みを広げて。無理な体勢だと、体が悲鳴をあげているのだ。けれど、目の前の彼は何も気にしていない様子で、顔を近づけてくる。

「蓮さんが、好きなんです」

「……す、き?」

するりと、ネクタイを触られ、声を出す間もなく緩められてしまった。抵抗できないほど、頭の中は混乱していて、いつの間にかシャツのボタンは外され、無理矢理胸元を露にされてしまった。

「……なんだ…やっぱり、ただの馬鹿犬じゃないですか」

幾瀬くんの指が、鎖骨をなぞる。そこには、昨日虎が付けた真っ赤な痕がある。それを、忌々しいものでも見るような目で、幾瀬くんが見下ろしているのだ。

「他にも…身体中に、あの人のつけた痕があるんですか」

「っ!、た…」

鼻先が一瞬触れたあと、彼の顔は視界から消え、同時に首筋に鋭い痛みが走った。噛み付かれているのだ、そう気づくのに数秒かかり、けれど手遅れで、幾瀬くんの胸は押しても退いてくれなかった。

「痛、い…離して……っ!」

「好きです。貴方が、欲しい。蓮さん、蓮さん…」

痛い、でもそれより“怖い”。

「そんなに怯えないで下さい。…あの人はどんな風に抱くんですか?蓮さんはどんな顔するんですか…見せてください」

“好き”って、そういう意味なんだ。僕が虎を好きな、その気持ちと同じ…でも、どうして、幾瀬くんは僕が虎を好きな事を…見ていれば分かるのだろうか。いや、それより今の状況はまずい、やっとそう理解出来たのに、もう手遅れだった。

「蓮さん、蓮さん…」

あっという間に顔は近づき、そして重なる。

「ふっ、んん」

「ん、はぁ…こうやって、無理矢理されるのが好きなんですよね?だから、あの人のことも好きになったんでしょう?僕みたいに努力もしないで、ただ隣にいただけの、あの犬を!」

「っ!」

「どうして…」

「……幾瀬くん…」

「僕じゃダメですか」

「謝って…」

「蓮さん、」

「謝って。虎は、君の思ってるような人じゃない」

キスされて濡れた唇が、どんどん乾いていく。
少しだけ驚いたように目を大きくした幾瀬くんは、ぐっと言葉を飲み込んで、掴んだままの僕の手首に爪を立てた。自分の声は情けなく震えている。もっとちゃんと抗議したいことなのに、呼吸の度に歯がガチガチと音をたてている。

「確かに、礼儀はなってないかもしれない。無節操だったとも思う。でも、今は違う。何より…虎は僕を、すごく大事にしてくれてる」

「蓮さんが、そう思ってるだけじゃないんですか」

「そうかもしれない、でも、僕は虎が好きだから…虎しか考えられないから…」

「それは、これからも変わらないんですか?僕がこれから貴方の隣に居ても変わりませんか?もっと早く、貴方に出会えていたら良かったのに…」

「幾瀬くん…ごめん、ごめんね、変わらない、よ。幾瀬くんのことは好きだよ。一緒にいて楽しいとも思う。でもね、やっぱり君と同じ意味での“好き”な人は、たった一人、虎だけだから」

「……だったら尚更…」

幾瀬くんの顔が悲しみに歪んでいく。それに胸が痛んで、それ以上は言えなかった。そういうところが、自分の悪いとこだって分かってるのに。
幾瀬くんは押し倒した僕に覆い被さるように体を傾け、再び顔を寄せてきた。また、キスされる。僕だって男だ、抵抗くらい出来る。でも、やっぱり反応が遅くて、唇に柔らかいものが触れた。虎よりも厚くて、柔らかい、荒れてもいない、それが。ぞくりとした。興奮ではなく、嫌悪で。さっきよりも盛大に体が彼を拒絶している。鳥肌と寒気、吐き気が一気に押し寄せてきて視界が滲む。

「ん、…幾瀬、く…」

切れ切れな自分の声の隙間、昼休みの終わりを告げる鐘が聞こえた。すぐそこから聞こえるはずなのに、何故だか酷く遠くから聞こえてくるような気がした。
卑猥な音が響く中、不意にカチャカチャとベルトに触れる冷たい音が聞こえ、ハッとした。

「尚更、無理矢理にでも、一度くらい抱いてしまいたい」

ベルトが外され、スラックスのファスナーにその手が伸びる。逃げなければと思うのに体は動かず、せめて大声をと思うのに声は出てくれない。自覚しきれないほど、僕は怯えていた。

「蓮さん…好きです。好き…誰より、何より…」

三度目のキス。なんとか舌を侵入させないように固く口を閉じ顔を背け、僕を押さえようとする幾瀬くんの手に出来た隙をつく。逃れた片手でグシャグシャになったシャツを掴み、はだけた前を隠すけれど、ひたり、と熱いのか冷たいのか分からない手が簡単に滑り込んできた。

必死で拒む僕の声は目の前の彼に届いていない。涙で濡れた顔が冷たくて、もう何度目か分からないキスに舌を捕まえられる。逃げないと、蹴り退けてでも。頭ではそれを繰り返しているのに、暴かれていく体はどうやっても解放されない。

「い、くせ…く」

二人分の唾液が顎から首へ伝った瞬間、ガラリと前触れもなく扉が開かれた。日の光のない部屋に、細い光が差し込む。そこから現れた大きな人影は、確認しなくとも確実にその人で。

「……と、ら…」

組み敷かれてキスをされる僕を、深いの瞳は温度を持たないで捕らえた。

「幾瀬」

「邪魔しないで下さいよ」

「そんなに殺されたいのか」

「はっ、僕は何もしてませんよ」

じわりと滲む視界で、ゆっくり近寄ってくる虎を追う。必死に、縋るように。

「これは、同意の上です。ね、蓮さん」

「……ち、が…」

「蓮」

ゆっくりと、本当にゆっくりと、虎の手が伸びてきた。

「だから、触らないで下さい。……触るな…蓮さんに、その汚い手で、蓮さんに触るな!!」

声を荒らげた彼に、目の前まで来ていた虎の手がピクリと揺れた。

「どうしてそこまで、蓮に執着するんだ」

「執着じゃない。僕は…僕こそ、蓮さんと結ばれるべき人間だから」

「だからどうして、そんな根拠のないことを言うんだ」

「根拠?そんなの…」

それから、幾瀬くんは声になっていく言葉を止めることが出来ないと言うように話し続けた。

「あの図書館で、蓮さんは毎日僕に笑いかけてくれた。…一目惚れでした。一瞬で、僕の全てを奪ったのは蓮さんです。だから、なんとかして蓮さんが欲しかった。受験が終わったら声をかけようと思った。でも、勇気がでなくて…けどこの学校で見つけて、蓮さんはやっぱり、笑いかけてくれた」

形の良い目に涙が浮かんでいく。

「それは、僕だけに向けられてるわけじゃない、そんなこと分かってた。…それでも、蓮さんを独占したくて…好きだって気持ちは日に日に大きくなって、でも、なのに…蓮さんには」

ぽとりと、冷えた頬に暖かい水滴が落ちてきた。ああ、泣いている。僕が泣かせてしまったんだ。この感覚は、麗に気持ちを告げたときと同じ。誰かを傷付けて、泣かせてまで、僕には大切にしたい人がいる、だからこれでいいのだと空を仰いだ、あの日のような。つまり、僕は彼の涙を拭うわけにはいかない。

「好き…ただ、好きなだけなのに…運命を信じて、それに縋るほど…僕は蓮さんが、好きなんです」

一度目から溢れたそれは、蛇口の壊れた水道のように中身を吐き出し続けた。暖かくて、けれど優しさなどないそれは、僕の頬を濡らし続け、彼の嗚咽だけが、そこに響いた。

「すいません、初めてなんですけど」
「あ、じゃあカード作りますね」
「…はい」
「こちらの、印のある欄に記入お願いします」


思えば、ホワイトデーの日に受け取った差出人の分からなかったあのお菓子、添えられていたメッセージカードに書かれた文字は。

「では貸し出しの際に提示して下さい」
「…あの、もう今日から使えますか」
「すぐご利用いただけますよ」


泣き崩れた幾瀬くんの体は、虎によって僕から離された。


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