Tiger x Lotus | ナノ

07

バイト先である図書館、僕は足を運んでくれる人の顔を、この一年で何人も覚えた。白髪の老夫婦に、出版関係の仕事をしているスーツ姿の男の人、分厚い眼鏡をかけた県内屈指の進学校の制服を着た女の子、学生服を着た受験生らしい男の子。
もちろん、分からない人の方が多いけれど。それでも、分かることが増えると仕事も楽しくなる。

「こんにちは」

「あ、こんにちは」

返却された本を本棚へ戻す作業の最中、不意に掛けられた声に振り向くと見慣れたお爺さんが居た。丸まった背を出来るだけ伸ばし、僕を見ていた。

「この本、借りても良いかな?」

しわ寄ったの指がさしたのは、返却された本を入れたカート。

「構いませんよ。出しましょうか?」

「ああ、悪いね。その、ヒカリって本を」

指定された本を取り出し、僕は彼へとそれを差し出した。それは結構古い本で傷みも酷い。それでも、こうして読みたがる人がたくさんいる本。

「ありがとう。何度読んでも、また読みたくなってしまってね」

「僕も、その本好きです」

「いやぁ…園村くんのおかげで、優雅な老後を送れているよ」

「え?」

「君が勧めてくれた本を読んでいるからね」

「いえいえ、僕の方こそ」

腰の曲がった老人は優しく微笑み、また来るよと言ってカウンターへ向かっていった。こうして話が出来ることも、僕は好きだ。中断していた作業を再開し、最後に絵本のコーナーへ足を運んだ。

「お兄さんお兄さん」

「あやかちゃん」

僕が本棚の前に立つのとほぼ同時に聞こえた、明るい声。それは、真っ赤なランドセルを背負った女の子のものだった。彼女も、よくここへ来てくれる子。

「今日は一人?」

「ううん、ままがお外にいる。あのね、帰る前にね、お兄さんにあげるの」

「ん、なあに?」

彼女と視線を合わせるために膝を折り、しゃがむ形で顔を覗き込んだ。ほんのりと赤くなっている頬を見つめていたら、彼女は手提げから何かを出した。

「これ、お兄さんにあげる」

「…クッキー?」

それは可愛らしくラッピングされた手作りらしいクッキーだった。

「うん、本当はね、バレンタインにね、あげたかったの。でも、間に合わなくて…」

今日は3月14日。ホワイトデーだ。
ホワイトデーに女の子からお菓子を貰うなんて、初めてのことで、へらりと口が緩むのを感じた。異性からの好意ある贈り物は受け取らないと言いながら、子供相手にはそれも通用しないなと、言い訳をしてそれを受け取った。

「ありがとう。すごく嬉しい」

「えへへっどういたしまして」

自慢げに笑った彼女の頭を撫で、微笑み返したところで、あやかちゃんは思い出したように手提げ鞄を覗いた。

「あとね…これ……」

もう一つ出てきたのは、彼女の手には不釣り合いな、大人びた物だった。紺地に薄いピンクの柄が入った紙で包装をされた四角い箱だ。

「お母さんから?」

「ううん。お兄さん」

「お兄さん?」

「うん、お兄さんにこれ、渡すってままと話してから、ここ来る途中で、これも渡して、って黒いお兄さんが」

“お兄さん”が何度も出てきて、よく分からない話だけど…

「知ってる人?」

「ん〜うん。ここでね、よく見るお兄さん」

「そう、じゃあ僕の知り合いかな」

「うん、きっとそう!」

“お兄さん”と言う感じの利用者はたくさんいるけれど、僕にこんなプレゼントをくれるような人はいただろうか。僕に話しかけてくれる人は年配の人ばかりだから心当たりもない。けれど今は、有り難く受けとらなければ彼女を困らせてしまうと、それを手に取った。

「ありがとう。今度、お返し作ってくるね」

「ほんと?」

「うん、約束」

「わーい!」

小さな小指と指切りをして、大袈裟に揺れながら遠ざかるランドセルを見送った。手には彼女からのクッキーと四角い箱。そして…

「メッセージカード…」

紺色の包装紙をまとめる紐に差し込まれた、二つ折りの小さなカード。そこには、“いつもありがとうございます。感謝の気持ちです。”と、丁寧な字で書かれていた。

結局、それは誰からの物だったのか、僕は知らない。少なくとも、ここへ来てくれる人からの物であることは間違いない。中身も、有名なチョコレート専門店のもので、特に変なところはなかった。

それが、波乱の前兆だなんて思うはずもなく…

確実に近づいてくる足音
お互いが無意識のうちに歩み寄っている
なんて、知る術もなくて


「ありがとう、渡してくれて」

「あ、黒い服のお兄さん!どうして、自分で、あげないの?」

「渡す勇気がなくて」

「…お兄さん、喜んでたよ!」

「よかった」

「あ、まま待ってるから、またね、お兄さん」

「ほんとにありがとう。ばいばい」

春の匂いが、不穏な足音を隠す。

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