Tiger x Lotus | ナノ

04 

“Happy Valentine!”

スーパーに行っても、雑貨屋に行っても、ファミレスに行っても、コンビに行っても、目にするその文字。

「…また……」

「……むかつく」

「誰か蓮はチョコアレルギーだって言ってこいよ〜」

どうでもいい。
けれど、極度の甘党である自分にはただでチョコレートが貰える行事ほど有り難いものはないと思う。そう“貰える”だけなら。

「虎、あげるよ」

「……」

「義理だけど。しかも本当は別の人にあげようと思ってたんだけど。もう何個も貰ってるみたいだから恵まれないあんたにあげる」

“義理”と“本命”なんてものがなければ。好きな人にチョコレートをあげる、など一体誰が考えたのだ、馬鹿馬鹿しい。差し出されたそれも、彼女が誰かに思いを込めて選んだり買ったりしたもの。そんなものを横流しに渡されたって、食べる気にはならない。

「……いらね」

「ほんとに?虎、甘いの好きじゃん。いらないの?」

俺がそれを受け取らなかったことに目を大きくしながら驚いたその人の名前を、俺は知らない。周りが“カンタ”と呼ぶから、恐らくそんな雰囲気の名字なんだろう。女なのに、不憫なやつだ、と思いながら欠伸をひとつ。それから「あ、ついでにこれも」と、机の横にかけていた紙袋をカンタに差し出した。中には差出人の分からない、綺麗にラッピングされたお菓子がいくつか入っている。直接渡されたのは、そのうちの一つか二つだ。
受け取ったというよりは、有無を言わさず押し付けられただけなのだけど。

「俺、いらねぇから」

すでに放課後だというのに、未だに教室で屯しているクラスメイトにでも配ってくれればいい。本当は食べたいけど、でも、気持ちを込められたものを易々と食べるのは怖い。

「は、ちょ、虎!?」

2月14日も、家に帰ればいつもと同じ、何の変哲もない日に戻る。早く帰りたい。
廊下で困ったようにはにかむ蓮を横目にそう思った。一体いくつ、蓮は“本命”チョコを貰ったのだろう。蓮が悪いわけではないのに、妙にイライラした。俺はカンタに紙袋を押し付けて教室を出た。蓮を見るために、ちらりと視線を向けると、バチリと視線がぶつかった。
蓮が俺を見た次の瞬間に、顔を赤くした女の子はこちらに背を向けて走っていた。

「虎、もう帰る?」

「……帰る」

「待って。鞄、取ってくる」

蓮はいつもとかわりなくふわりと微笑むと、踵を返して教室へ入った。開け放たれたドアから、蓮が鞄を取り、見慣れないピンクの紙袋を手にして戻ってくるのがしっかりと見えた。

「帰ろう」

甘い匂いを纏って。
学校から家まで、寒いという理由でいつもは歩いて帰る道を電車で帰った。おかげで数分、早く帰宅できた。そしていつもは何も言わなくても自然とどちらかがどちらかの家へ上がる。

「……虎?入らないの」

今日は俺が蓮の家へ行くようで、促されるまま園村家へ足を踏み込んだ。その雰囲気がいつもと違うように感じて、なんだか落ち着かないなと、俺は感じていて。

「虎、ちょっと待ってて─」

紙袋を丁寧にキッチンのテーブルに置いた蓮。その手を掴んで引き寄せると、ガタリとテーブルが揺れて紙袋が足元に落ちた。

「っ、虎?どうしたの」

この行動に慣れたように、蓮は小さく笑って問う。いつもの匂いに溶け混んだ、甘い甘い匂いに目眩がする。様子を伺うように頬を触れてきた手からも、それは漂っている。

「……甘いの」

「ん?」

「甘いの、好きじゃないだろ」

コーヒーも、紅茶も、蓮は砂糖を入れない。その横で、俺はスプーン一杯のそれを何往復もさせるのが、いつもの光景だ。甘いお菓子は一口二口で俺に寄越してくる。そんな蓮から、甘い匂いがする。

「そうだね、得意じゃない」

だったらどうして受けとるんだ、と喉まで来た言葉を無理矢理飲み込んだ。嫉妬が醜いとか、嫌みや僻みに聞こえるからとか、そういう訳じゃなく…

「……」

たぶん、それに形はなくて。

「頑張って作ってくれたもの、選んでくれたもの、僕にそれを拒否する権利はないと思わない?…でも、ちゃんと、その気持ちには答えられないって言ったよ」

気持ちには答えられないから受け取れない、それでも貰って欲しいと言われたものだけが、今ここにあるんだ。それが、こんなにもあるんだ。蓮は穏やかな声で、俺の頬を撫でながらそう囁いた。それから、俺の唇を指でひと撫でして、やんわりと微笑む。

「ガトーショコラ作ったんだ、食べない?」

「え……」

「うんと、甘くした。コーヒー淹れるから待ってて」

「蓮」

「ん?っわ、な…虎?」

指先からの甘い匂い、それは蓮から俺へ向けられたもの、ということ。それが分かると不快に思っていた匂いがきゅっ、と胸を締め付けた。俺の腕から逃れようとした体をしっかり胸に収め直し、「わざわざ、作ってくれたのか」と問う。

「……うん、虎の為、だけに」

遠慮がちに漏れた声は、ふふっと小さく空気を揺らした。

「正直、もうしばらくチョコレートは見たくないかな」

ああ、そうだ。バレンタインの季節、町はチョコレートの匂いで満ちている。家でも、チョコレートは存在を主張し、甘い匂いを充満させている。このイベントの後、女の子達が口々に“しばらくチョコはいらないね”というのも、記憶にある。

「虎、食べてくれる?」

「そんなこと聞くなよ」

「聞かなきゃわからないでしょ。受け取ってもらえても、捨てられちゃ意味ないから」

どきりとした。放課後、教室でクラスメイトにチョコを押し付けたのを見たのだろうか、と。

「捨てるわけない」

「“本命”チョコだよ?いいの、受け取って」

俺を試すように、蓮は真っ直ぐ俺の目を見据える。何処か挑発的な、でも期待しているような、そんな目。

「蓮からなら、貰うに決まってる」

「ふふっ、直球だね」

「は」

「わかった。……来年は、もう少し自分の気持ちはっきり伝える。僕は甘いものが苦手で、恋人がいるから、君の気持ちには答えられないって」

蓮にそこまで言えるのか疑問だけど、言ってくれるならそれにこしたことはない。ただ、今日だって断ったうえで、こんなにたくさんのチョコレートを渡されたのだ。それを目の当たりにして、ショックだった。俺だけが蓮を独占しているはずなのに、他の人間も蓮を見ているなんて、と。誰の目にも触れないように閉じ込めておきたい、その思いを強くさせたのだ。

「ね、食べよう」

俺を見上げて蓮は微笑んだ。本当に、蓮はよく笑う。その微笑みに種類があることは知っている。けれど、こんなにも無防備に微笑まれては不安にもなる。ただ、可愛いと、それから色っぽい、それを俺だけに見せてくれるならいいのに。

「……ああ」

ガトーショコラに口をつけるその前に、“ちゅっ”と音をたてて、蓮の唇へキスを落とす。残念ながら、そこは甘くなかった。

「先に蓮、」

「っ、ちょ…」

でも、全身に纏う匂いが、甘い錯覚をおこしてくれていた。絡み付くそれは、蓮から漂うから許せるだけで。
とにかく俺は、自分が蓮を見ていられない時間とその空白を埋めたくて、強く抱き締めた。
心も体も繋がれているのに、やっぱりまだ何処かに、埋まらない溝がある。もしかしたらその溝は、この先ずっと埋まらないのかもしれない。そんなの嫌だけど、辛いけど、それでも俺は蓮から離れられない。

「虎?」

脳も、五感も、内蔵も、そして髪の先から手足の指先まで、俺は蓮に侵されている。侵食されて、蝕まれて、そして…支配される。

(ごめん、甘すぎたね、これ)
(全然、もっと甘くても良かった)




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