08
「っ、虎…嫌、だ…」
突然の拒否は、その状況にはあまりにも不釣り合いなものだった。
「…蓮?」
蓮を後ろから抱きすくめ、第二ボタンまで外したシャツの襟もとから露になる胸元。舌を這わせた首筋。ゆっくりとシャツの裾から手を忍ばせ、丹念に愛撫を繰り返した後。ベルトにかけた俺の手を拒むように漏れた蓮の声。
「このままするの、嫌だ」
足の間に座らせた蓮の体が小さくなった。ぎゅっと、自分の肩を抱いて縮こまったからだ。何かに怯えるように、小刻みに揺れる肩を。
「……悪い」
「ちがっ…」
今までだって、何度も拒否された。
場所とか、時間とか…それから、そういう意思を持った拒否とは違う、羞恥や快楽から漏れる否定。でも、今はそのどちらでもない。蓮の部屋、甘く喘ぐほど前戯は済んでいない。はっきりと、俺を拒絶した。
「そうじゃなくて…」
小さな声が俺の方を見ないで告げる。
「後ろ……」
「…え?」
「後ろ…から、したくない…」
後ろからしたくない…つまりは、この状況でことを続けるのが嫌だ、という意味。どうして…そう思うより先に、思い当たる節を見つけて、脳がギシリと軋むような音をたてた。
「蓮…」
“虎は正面から抱かない。抱き締めることもしない”
俺の良くない噂の中で、それは100%の事実。まさかそれを…そう、それから、前にも一度後ろからしようとして逃げられた。まあ、その時の亀裂が、今の“恋人”という関係をもたらしてくれたのだけど…
「ごめん…虎が嫌なんじゃ、なくて…」
俺に言わせれば、蓮を抱くのとそれ以外の人を抱くのは全くの別物。でも蓮にしてみたら、同じ“行為”なわけで…好きでもない相手を抱くときの体位で、自分も抱かれる、それが、嫌ということだろうか。
「どうしても…」
“怖い”?蓮から離れようとしていた手を、もう一度しっかりと、その体へ引き戻す。強く抱き締めてから蓮の体の向きを変えて、正面からキスを落としてそのまま床へ押し倒せば、いつも通りの光景が広がる。
「わかった」
蓮を見下ろしたままベルトを外し、中へ手を滑り込ませてゆっくりと続きを再開した。
「っ、ん……い、ぁ…」
蓮は目を潤ませて、頬をわずかに赤くして、片手を口元に翳して声を抑えている。
「蓮」
「と…」
艶やかな声が、静かに響く。
俺の背中に回された方手が、必死にシャツを掴んだ。シワなど気にしないけれど、なんとなく服ではなくて直接触ってほしくなって、はだけたままだったそれを脱ぎ捨てた。
「っ…」
その瞬間、困惑した蓮の目が俺を捕らえる。
「なに?」
「あ…」
行き場を無くしたと言うように、背中から手が滑り落ちた。くしゃくしゃになったシャツに流れた視線。そんなものに、気をとられる余裕があるのか、そう思ったら、妙に悔しくなって後孔へもう一本、指を埋め込む。窮屈なそこは苦しそうに、でもしっかりと受け入れてくれた。
「っと、ら…ぁ」
充分に解れたのを確認してから、足を開くためにズボンと下着を足から引き抜き、たっぷりのローションを蓮の後孔へ更に垂らす。自分のものを取りだし避妊具を被せ、そこにも同じだけ。
「蓮、力抜いて」
「ふっ、ぅ……ぁ」
顔を背け、半分しか見えない蓮の顔。そして、手は相変わらず口元を隠している。
「…手」
「っあ、や…」
「蓮?」
まだ三分の一ほどしか入っていなかったけど、蓮が辛いのにかわりはない。口を隠す手をそこから引き剥がし、俺の脇腹を通らせて、背中へ送る。
「ダメ、と…ら」
「あ?」
「傷…」
ほとんど顔は見えなくて、その表情は掴めない。
「虎の背中に…つけたく、ない…」
ああ、いつもそうだ。いつもそう言って拳にした手を背中に回すか、服を着ていればそれを掴む。
「だから、気にするなって、言ってるだろ」
「だ、って…ぃ、はぁ」
「爪の痕くらい、何でもない」
「でもっ…着替える時、見える…から…」
そういえば、この時期の体育は持久走で、嫌でも汗をかいてしまうから体操着に着替える。その時に…“虎の背中に爪の痕…ま、まさか!?”と、クラスメイトに言われた。それから、“本命ができたからか〜。最近お前、誰にも手出してなかっただろ?何かの病気かと思った〜”とも。周りはそれに納得したように、安堵の笑いを漏らしていた。
痕がつかないよう気をつけていたものの、その時は付いてしまっていたのだろう。俺は少しも気にしてないのに。
「本当の事だろ」
「へ…」
口元で置き去りにされていた蓮の片手を掴み、そっと唇を押し付ける。そしてその手を開かせ、同じように背中へ送る。
「これをつけられるのも、それを許されてるのも、蓮だけ。俺は蓮しか抱かないから」
「虎……っ、ん」
俺が蓮の中へ入っていくほどに、強く肩甲骨辺りに食い込む蓮の指。
「は、ぁ……あ、んん」
「蓮」
苦しくてうまく唾をのみ込めないのか、キスをすれば溢れてくる唾液。舌を絡ませて、唇を吸って、気づけば蓮の口からはそれが滴り落ちていた。腰も、緩やかに揺れている。俺に与えられる律動だけでは、足りないのかもしれない。
こんな姿を晒すのは俺の前でだけ。誰も、蓮のこんな姿は知らない。
「蓮。俺の事だけ考えて。爪の跡も、歯形でも、なんでも、つけていいから」
耳元で囁けば、体はびくりと跳ねた。思いの外掠れてしまった自分の声に、蓮はしっかりと反応して、ぎゅっと俺を締め付けた。僅かに汗ばんだ指も、同じように。
「っ、虎、とら…も、…」
「んん…」
涙と唾液で濡れた蓮の顔にキスを落として、最後はしっかりと、唇へ。
「とらっ」
“虎の体温を、背中で感じるのはすごく好きだよ。後ろから抱き締められること、足の間に座ること、それは、すごく、好きなんだよ”
『それは』
涙に濡れた頬を緩ませて、切れる息の隙間を縫って紡がれたその言葉に、俺は何も、言えなかった。
(蓮の中は、変わらず熱くて、居心地がよくて、そして…どうしたら、蓮の心の中にある溝は、埋まってくれるんだろうと漠然と思う)
その方法が俺なんかに
分かるはずないというのに
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