Tiger x Lotus | ナノ

05 

十時を過ぎた二月の夜はかなり寒かった。駅まで全速力で走ったおかげで体は暖かくなったけれど、耳と喉が痛い。丁度良いタイミングで到着した電車に乗り込み、揺れる肩を整えながら、数分前の電話を思い出す。

“君、蓮くん?”

驚くほど、綺麗な声だった。

“迎えに来てほしいの、虎を”

良く通る、透き通った、でもちゃんと芯のある、すごく色っぽい声。

“VANQUISHっていうお店…北町駅の西改札口をでて、大通りを真っ直ぐ行けば、見つかるはず”

聞いたことのないお店だ。もちろん、普段使わない駅だから、ということもある。そう思いながらも、気持ちは急いていてガタンゴトンと揺れる電車に焦れったくなる。家から最寄りの駅、そこから四駅でその駅に着いた。

電車を降りてからも無我夢中で走った。
女の子からの嫌がらせなんだろうか…虎が、隙を見せたのだろうか、携帯を触らせるような…寒いのか暑いのかよく分からなくなった頃“VANQUISH”と書かれた看板が見えた。ピンクに光るネオンのそれの前で足を止め、こじんまりと佇むスタイリッシュな建物を見つめる。

「……こ、こ?」

誰かの家やホテルじゃなくて良かった。そう思うと同時に、明らかにバーであるそこに、虎がいるのかと違和感を覚えた。だって虎は、そういう人の集まる場所を好まない。乱れたままの呼吸でそれに歩みより、見た目からは想像のつかなかった軽いドアを引いた。

「いらっしゃいませ」

バーだ。ジャズの流れる、落ち着いた。

「……君、蓮くん?」

いまいち状況が理解できないまま、カウンターの中から僕を見て首をかしげている店員を見つめた。そんな僕にかけられた、その声。電話越しより遥かに、鮮やかに聞こえたそれは…

「だよね?」

息をのむほど、綺麗な女の人のものだった。

「あ、はい…」

白を基調とした店内には、カウンターの彼女一人と、女のお客さんがカウンターに一人、テーブルに三人ほど、そして僕。

「ついてきて」

突然目の前に現れた、バーテンダーらしきその女の人だけ。その人はついてくるよう僕を促し、ろくに言葉も交わさないで歩き出した。
小さな顔に、大きな目とそれを強調するような短い髪。縁取るまつげは自然のもので、けれどかなり長い。とにかく、一般人離れした女の人だった。虎も一般人離れした容姿をしているけど、それ以上じゃないかと、圧倒されてしまうほどだった。

通されたのは、カウンターの中に備え付けられたドアの向こう。“staff room”と書かれたドアが開かれ、彼女のあとに続いた。そこにはロッカーらしき銀の棚が五つほどと、黒い皮の二人掛けのソファーが二つ。そして透明のガラステーブルがその間に挟まれるように置いてあった。

「ごめんね、突然」

「あ、いえ…」

虎はそのソファーの下に横たわっていた。寝相は良い方なのに、落ちたのだろうかと思いつつも、話し出したバーテンダーに視線を戻す。

「寝起きなのに呼び出したみたいで…相当機嫌も悪くて、ずっと眠たそうにしてて」

「……あの、虎はここで何を…」

まずそれが分からなければ彼女の話に返事ができない。そう思って聞いたのに、その人は“は?”と言いたげに目を見開いた。小さな顔から、目が落ちそうでこっちが焦ってしまう。

「虎から、聞いてない?」

なんとなく、“はい”と言うのが悔しくて、返事が出来なかった。

「…喫茶店、虎のバイト先の。あそこのマスターに、お世話になってたことがあって。今でもよく行くの」

虎のバイト先のマスター…綺麗な白髪の、いつもにこにこ微笑むおじいさんが思い出される。

「そこで、お店…ここ、手伝ってくれる人がほしいって話をしてて。バイト雇うほど余裕はないから、忙しいときだけお願い出来る人、いないかなって」

「っじゃあ虎は…」

「マスターに頼まれれば虎だって断れないよね。まあ、まだ16、7の子供だから、出来るだけ早く帰そうとは思ってたんだけど…忙しいときに呼び出してきてもらう、って形のバイトだったから、余計に機嫌を悪くしたみたい」

言われてみれば、定期的に、規則的に、出ていっていたわけではなかった気がする。

「このまま閉店まで寝てるなら、わたしが送るんだけど…明日学校でしょ?早く帰れるんだから帰った方がいいと思って」

話に区切りがついたところで、僕は虎に駆け寄った。

「虎、起きて」

「……携帯の通話履歴、君の名前ばっかりだったから」

「え、」

「虎って自分のことあんまり話さないし、お客さんにも無愛想なんだけど…恋人いるからって、誘いは断ってて」

どくんと、急速に心音が早くなっていく。この人は、僕らの関係に…

「ごめんね、虎、無茶に使って」

目が逸らせないほど綺麗に、申し訳なさそうに、その人は微笑んだ。バーテンダーの服装で、こんなに短髪で…けれど“美しい”以外の何者でもないと改めて思った。虎はこんな人と一緒に働いているんだ…彼女にその気がないのは何となく分かったけれど、それでも揺らがないのだろうか…と不安を抱かずにはいられなかった。

「虎…」

「…んん」

「蓮くんが起こせばすぐ起きるのね。さっきまで全然起きなかったのに。じゃあ、わたし戻るね。出るときはこの部屋出てすぐにある裏口のドアから出て。右に行けば大通りに出るから」

後ろ姿まで優美で、彼女の消えたドアをしばらく見つめてしまった。そんな僕に、ずしりと降りかかかってきた体重。

「とーら」

「……ん」

「帰ろう」

「…蓮?……なんで…」

しゃがみこむ僕に抱きつく虎は、まだ眠そうな声で問うた。

「虎が起きないから、迎えに来たんだよ」

「……」

「帰ろう」

ゆっくりと、離れた体。
よく見れば虎も、ウェイターの格好をしていた。白のシャツに黒のベストとズボン。僕は初めて見る格好、だ。

「虎?」

「…何も、聞かないのか」

「っ…ここで、バイトしてるって…聞いた」

「あ、そう…」

謝るべきだろうか。バイトだなんて全然思ってなくて…もしかしたら何処かで誰かと会っているかもしれない、なんて少しでも考えてしまったこと。じっと見つめあっていた目はそのままに、虎の手を握りしめる。

「…どうして言ってくれなかったの?隠す必要無いのに…」

振り絞ってやっと出た言葉は、虎を責めるものだった。素直に謝るのが先だというのに。

「……この臭い、嫌なんだろ」

「……え?」

「言うつもりだった。でも蓮、この臭い嫌がったから…」

「なに、それ…」

ああ、あれは現実だったのか。夢なのかそうじゃないのかよくわからなくて、結局夢だった、と自分の中で解決してしまっていた、あの瞬間だ。

「そんなの辞めろって言うなら辞める。でも、マスターの頼みだから─」

「ごめん」

ぎゅっと、虎のシャツがシワになる。捲り上げてシワになったところだったけど、アイロンをかけなきゃ、と何処かで冷静になっていた。

「辞めろなんて言わない。酷いニオイって言ったこと、ちゃんと覚えてなくて…ごめん。それから、そのニオイ、もしかして…って」

言ったら傷つけてしまうだろうか、でも謝らなくちゃいけないことだ。

「虎、何も言わないから…でも、聞くこともできなくて、勝手に変なこと考えてた。虎のこと、疑っ─」

言い終わる前に抱き締めれた。この部屋自体、少し煙草臭い。でも店内よりはマシで、虎からもそれ以外のニオイは特にしなかった。

「蓮が謝る必要ないだろ。そんな不安にさせるようなこと、今までしてきた俺が悪い」

「違っ…」

反論したくて胸を押したけど、虎の抱き締める力には勝てなかった。さらに強く抱き締められ、微かに鼻を掠めた香水の匂いに、ドキリとした。

「……違わない。俺は、蓮以外」

“誰も抱かない、それが嘘になった時は蓮が俺を拒絶したとき”虎はそう言って少し不安げに僕を見て瞳を揺らした。

「そんなの、しない…」

僕と同じ香水の匂いが、ちゃんと残っている。虎の低い体温に馴染んだその匂いがたまらなく好きで、安堵の息が漏れた。

「虎、帰ろう」

触れるだけのキスを交わして、もう一度抱き締めあってから、立ち上がった。帰り道はゆっくり、歩いて帰ろう。お互いの体温を、感じながら。


「男、か」
「何か言いました?圭織さん」
(安心は不安を生み出す)
(最強の脅威ではないだろうか)


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