Tiger x Lotus | ナノ

05 

僕が逃げた日、虎はもう授業には出なかった。
次の日は休み、その次の日も…

「あれ、虎また休み?」

そして今日も。
毎日僕が起こしに行って、朝ごはんを食べさせる。虎が着替える間に持ち物のチェック。忘れ物がないことを確認して一緒に家を出る。それが当たり前だった。もしかしたら僕が起こしに行かないから、朝起きれていないのかも…甘えるな、普通はそう言うのだろうけど、僕は逆で、すごく心配だった。

「え、俺朝見たよー」

クラスメイトの、その話を聞くまでは。

「朝?」

「んん、朝部活あったから八時前に来て…そしたらちょうど虎保健室入ってくとこだった」

「ふーん、朝から保健室ね。相変わらず不謹慎な奴だな」

「ははっほんとだな」

「つーか、蓮は何も知らないのかよ」

「…え?」

「いつもべったりじゃん。朝も毎日一緒だし。何、喧嘩でもしてんの」

冗談交じりの声が痛かった。僕は曖昧な返事しか出来ないまま、適当に笑って誤魔化した。

だって、ありえない。
虎が八時前に学校に来るなんて。朝は弱いし準備も急かさないと出来ない。……もしかして、僕が勝手に世話を焼いていただけで、本当は何でも一人で出来るのだろうか。
ちくん、と何かが胸を刺す。
昨日の夜も、その前の夜も、僕は虎の部屋の電気がつくところを見ていない。家に帰っていないのか、相当遅い帰りなのか、ただ気配を消しているのか、それも知らない。会いたいと思ったら会える、会いたくなくたって会えてしまう、そんな距離にいるというのに…

「そんなことないよ」

「じゃあ、やっと虎も親離れって感じか」

「親離れって…」

結局、その日虎が教室に現れることはなかった。帰りに保健室に寄ろう、そう思ってドアの前まで行ったけれど“不在”の札がかけてあり、ドアも開かなかった。

嫌だ…いや…妙な胸騒ぎの原因は、きっと、僕じゃない、他の誰かを虎が抱いているかもしれないという不安だ。僕にキスするように、僕を優しく愛撫するように…

柔らかい体にすべすべの肌、男と違う柔らかな体。声も、髪も、指先まで、何もかも違う。虎が僕から離れていくのなんて、簡単だったんだ。必死にしがみ付いていたのは、虎じゃなくて僕。ぐるぐると頭の中を駆け巡る、そんな嫌な想像だ。

「あ、園村くん?」

「…っ藤江先生」

保健室のドアの前、僕は艶っぽいその声に振り返った。藤江、それはこの保健室の主。綺麗な女の先生、だ。いつか虎の首筋についていた赤と同じ赤が、彼女の唇にひかれている。

「どうしたの、何か用だった?」

「あ、いえ」

「ごめんね、出張で今戻ったところなの。入る?」

ガチャリと音を立てて、鍵が開く。もう放課後だというのに、この人は僕を中に入るよう促す。

「すみません、なんでもないです」

「あら、そうなの?…ん〜、わたしは少し、貴方に聞きたいことがあるんだけど」

「…何、ですか?」

年齢より若く見える白衣を着たその人。
虎はこの人のことも抱いたのだろうか…そうだ、この赤い唇は、虎に触れたことがあるのだ…その唇が、「と…愛嬌くんのことなんだけど」と、言葉を紡いだ。

「っ、虎、ですか」

心臓が、止まるんじゃないかと思った。
“虎”彼女の口からその名前が出てくるなんて…僕の思考が覗かれている気がして、背筋が伸びる。動揺が彼女にバレていないか不安になったけれど、今はそんなことどうでもいい。

「ここには頻繁に来るんだけど…昨日今日と一日寝てるのよ。体調悪いなら休みなさいって言ってるんだけど…聞かなくて。園村くん、確か愛嬌くんと仲良かったでしょ?」

頻繁に、来る?一日中居る?

「今日はわたし昼から出張だったから、追い出したけど…授業には出ていないみたいだし」

いや、だ。

「貴方には随分、心を開いていたみたいだけど…何か、知らない?」

知らない。知っていても貴女に言う必要はない、どうして知りたがるんですか、そう言いたかった。養護教諭だから?けれど個人的な僕らの話を、貴女が知らなくても問題ない。むしろ聞きたいのは僕の方だ。虎はここで、本当に寝ていくだけ?貴女はそれを、“教師”として看ているだけ?

「園村くん?」

「…すみません。虎、ここにいないなら僕も帰ります」

嫌だ。

「ねえ、園村くん」

待って、というように掴まれた右手。
白くて細い指だ。やっぱり、男と女じゃ、全然違う。

「もしかして愛嬌くんから…わたし達のこと、何か聞いてる?」

「っ」

今度こそ、心臓が止まった。もちろん本当に止まることはないけれど…それくらいの衝撃で、ショックで、息が苦しくなる。この人は僕の心臓を鷲掴みにするような言葉を発したのだ。そう、虎と藤江という“女”の関係を、自ら口にしたのだ。

「…何かって、僕は、何も知りません」

「あっ…あら、そう…ごめんなさい、気にしないで。忘れてくれる?」

「……失礼します」

知っていることじゃないか。
虎が誰彼構わず人を抱くなんて。抱かれた女の子たちの言葉だって、耳にたこが出来るくらい聞いてきた。なのに…ショックだった。…きっと、虎に“もういい”なんて言われたから…“終わりにしよう”なんて言われたから。

僕は虎に好かれてなんかいなかったんだろうか。初めから、虎が適当に抱く中の一人でしかなかったのだろうか。面白がっていただけなのだろうか。そんな分際で、僕は…

“汚い”と、虎に言ってしまった。頭は必死に制御しようとしていたのに、口は勝手に動いて声も勝手に出ていた。
嗚咽を我慢できそうになくて、その場でしゃがみ込んでしまった。藤江先生は保健室の中。きっと僕の後姿を眺めてなんかいない。それでもこんなところを見られたくなくてすぐに足に力を入れた。昇降口を目指して歩けば、外からは野球部の声。廊下の窓から吹き込む冷たい風に乗せられて、今の僕とは不釣合いなその声は遠慮もなく鼓膜を揺らした。

「蓮」

僕を呼ぶ、虎の低い声。今一番聞きたい声は、その低音だ。優しく、低く響く、支配的なその声だけ。
ちゃんと、話そう。このままじゃ耐えられない。僕の気持ちを、ちゃんと…でもどう言えば、何と言葉にすれば伝わるのか。きっとそれは、すごく簡単なことだ。でも僕にはそれが出来なくて、それは虎を傷つけたからで。
帰っても虎は居ないかもしれない。待っていても帰ってこないかもしれない。だったら明日は虎を見つけよう。学校には来ている、もしそれが本当なら…見つけよう。そして、言うんだ。

「好きだよ」って。

校門を出たところで、ちょうど五時を知らせる鐘が、街に響きだした。


曖昧な僕らは形が欲しい。
でも形なんていらない。
(人を傷つけられなくせに)
(自分も傷つきたくないなんて)



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