03
ムカついた、というよりはショックだったんだと思う。
人気の少ない渡り廊下に呼び出された蓮。女の子に呼び出されたのだ、告白以外の何者でもないと分かっていながら、俺は 渡り廊下から見えないようドアに寄りかかって二人の声を聞いていた。
蓮は当然のように断った。けれど、言い方は相変わらず優しい。そんな言い方では諦められないだろうに。ため息をつきたくなったけれど、次の言葉に、それは飲み込みざるを得なくなる。
「じゃあ、せめて、キスして下さい」
どくりと、全身が脈打つ。
しない、するはずがない。全力で否定する自分が情けなく、それでも蓮がはっきり、しない意思を示したことには安心していた。けれど相手は引かない。馬鹿な女だ、顔を見てやろう、そう思って、ドアから顔を覗かせれば…
「は」
頷いた蓮。その手は華奢な肩に触れ、少しだけ頭を傾けた。その瞬間、頭に血がのぼるのが分かった。ふざけるなと、怒鳴っていたかもしれない。
『ダンッッ』
そこからはもうよく覚えていない。
頭にきている、でも、苛つきよりも何処かが痛む気がして、でも、それが何処かも分からない。気づけば蓮の腕を掴んで、確実に誰もいない空き教室を目指していた。
「虎っ」
俺を呼ぶ声にも振り向かなかった。いや、振り向けなかった。今、振り向いてその顔を見たら壁に押さえつけてでも犯してしまいそうだったから。場所なんて関係なく、その場で。
チカチカと頭の中で何かが光るのを感じながら、四階の使われていない相談室へ蓮を押し込んだ。そこでやっと蓮を解放し、息を切らす彼を見て自分も相当疲れていることに気づいた。体育以外で運動なんてしないからか、息苦しくて、なかなか息は整わない。
「蓮。なに考えてるわけ」
「え?…はぁ」
「いつから」
「なに、ちょっと…待って」
「お前いつから」
待てなかった。少しの制止も受け入れられない。
蓮は関わりのない人間にも、俺と同じような扱いをするのか。幼馴染みでも友達でもない、離れていかれても気にならない、そんな人間にも。どんなにお人好しでも構わない、でも、この16年間の関係とたった今出会った数分の関係が、天秤にかけて揺れないのは許せなかった。
「そんな安い奴になったんだよ」
「……は、」
幼馴染みで、大事な友達。
せめて、蓮がそう思ってくれていて、同情でもなんでもいい、その心に自分がいれば、それで良かった。なのに…
「…そうだよな、蓮、俺の事も簡単に受け入れるもんな」
「ちがっ」
違わない。
男が男に抱かれるなんて、好きじゃないなら普通叫んで拒否する。それをしないのは、俺を傷つけて遠ざけることができない、それだけ。今までだってわかっていたのに。
『ガタン』
それを目の前に突きつけられて、ショックだった。いっそのこと、最初から拒否してくれていれば、こんな嫉妬まがいな嫌みは言わずに済んだのに。
「っい…た」
肩を掴んで、壁に押さえつけて、キスをした。
「いっ!!と、ら…」
けれど、それより先に俺以外に触れようとした蓮の唇に歯をたてた。思ったより強く噛んでしまったのか、突然口内を鉄の味が支配した。しまった、と思ったが、もう止められない。そのまま無理矢理舌を絡めて、片手で蓮のベルトを緩める。
「っ虎!…んん」
抵抗、している。蓮が…嫌だ、怖い、だからやめて、と。叫びは届いているのに何処かで冷静に、そう思った。それでもベルトは呆気なく外れて、簡単に俺の手を受け入れた。
「後ろ向け」
「っや…嫌!虎!!」
そんな顔で見るな。
見たくない、蓮の顔…怯えた目も、情けなく下がった眉も、血に塗れた唇も、全部。 強引に体の向きを変えて、後ろからそこへ、自分の指を入れ込む。二本、無理矢理。
「ほら、簡単に入る」
「っ!!たぁ…」
簡単じゃない。固くてキツくて、痛いに決まってる。それでもきゅうきゅうと締め付けられて、目が眩んだ。痛みに声をあげられても、今は何も耳に入らない。
「抜いて…虎、痛い…よ」
蓮が感じるところは、良くなるところは、把握している。そこを擦れば喘ぎ声に変わることも分かっている。
「なんで…」
けれど、蓮はそれを許さない。そこを突かれないように、必死でもがくのだ。泣いているのか、震えた声が俺を責めるように響く。
「なんで、こんな…」
なんでって…
泣くほど嫌なら、最初から…
「なんで?…蓮が、中途半端な人間だからだろ。ムカ つくんだよ、お前のそういうところ」
「…ら、だって…」
「あ?」
舌足らずな声が、俺たちしかいない狭い教室に籠る。籠って、ひどく冷たく響く。
「虎だって、平気でいろんな人を抱くくせに…僕、言ったよね?虎にちゃんと、好き、って…」
顔は見えないけれど、情けないその声は珍しく怒りを秘めていた。
「だから蓮の好きは違うだろ。誰にでも良い顔して、 ほんと、殺したいくらい苛つく。いい加減気づけよ。傷つけないようにする、それ自体が相手を傷つけてるっ て」
体も口も、蓮を傷つけていく。
俺は蓮みたいに、優しく自分の気持ちを伝えることはできない。蓮みたいに、ムカつくくらい優しい人間にはなれない。
「何がわかるの?僕の気持ち、ちゃんと聞こうともしな いで…好きだよ、虎。でも…こんなの嫌だ」
“好き”好き?
確かに、気持ちを告げて初めて蓮を抱いた日、蓮は「僕も虎が好き」と言った。でもそれは、俺の好きとは違う。違うんだ。
「信じなかったのは虎なのに…虎は良くて僕はダメっ て?虎は体さえ開けば、誰でもいいんじゃないの。別に 僕じゃなくたって、誰でも。…そういうの」
“汚いよ”
ガン、と鈍器で頭を殴られるような衝撃だった、。誰に何を言われても気にしないのに…蓮からのそのたった一言が、ぐさりと胸に刺さる。その感覚を、生まれて初めて味わった。
「っ」
ゆっくりと、蓮の顔がこちらを向く。
見られたくない、今、どんな顔してる?見るな…
「もういい、もう…」
嫌だ。
「蓮、終わりにしよう」
嘘だ、そんなこと一ミリも思ってない。
俺の言葉に、蓮が何か言い返してくれたら…なんて、あり得ないことを期待した。視線を落とせば、バタバタと走り去る足音が聞こえた。ああ、終わった…いや、始めから俺だけだったのだ。
遠ざかって、すぐに見えなくなった蓮の背中。
本当は追いかけて、捕まえて、謝って、謝って、許してもらえなくても、伝わるまで何度も、好きって言いたかった。けれどそれはもう叶わない。散々傷つけて苦しめてきた罰、だろう。
「蓮…」
手をすり抜けていった心地良い体温が、もう一度この手に触れることはもうない。
「っ」
想像したより遥かに震えた自分の声に、震える唇に、頬を伝った熱い水滴に、自分が泣いていることを気づかされた。
泣いていた。
イタイ、クルシイ、ツライ。
崩れ落ちた床は冷たくて、頬を濡らした涙ももう冷たくて、全部凍って無くなれば良いと思った。
蓮が隣にいないなら、
俺は生きることさえ拒否したい
(もっと早く終わらせたかった)
(終わらせて、どうしたかった?)
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