02
忘れます、だから、せめて思い出にキスしてください。
誰かを想い、報われなかったら、僕らはどうやってその思いを断ち切り、過去にしていくのだろうか。そんなこと、出来るのだろうか。考えなくても、答えは見えなくて。
僕と虎の関係は、幼馴染みという繋がり以外曖昧なまま。そんな曖昧なものまでも、冬休み目前、クリスマスムードが漂い始めたある日、突然ガラガラと音をたてて崩れた。その原因というのが、今、目の前にある。
「それは、自分の為にもならないことだと思う、な…」
目の前に居る女の子は、今にも涙がこぼれそうな大きな目で僕を見上げていた。 好きです、付き合ってください。シンプルな言葉で愛の告白を受けた僕は、「ありがとう。でも、ごめん…付き合えない」それだけの返事を向けた。好きな人がいるのかと聞かれ、曖昧な言葉しか紡がない僕に、彼女はキスを求めてきた。
12月の空気に冷やされる、体育館と一棟の校舎を繋ぐ渡り廊下で。この季節、そこを通るのは体育の授業か何かの式があるとき、それから…、ふわふわと飛んでいきそうな甘い告白と、やわらかくて簡単に壊れてしまいそうな安い言葉を告げたがる生徒だけだ。
「ダメ、ですか?」
「それで、君は救われるの」
「……はい」
嘘だろう。いや、考え方は人それぞれ違うというならば、幸せの形も、救いの形も、報いの形でさえも、その人その人で違うのかもしれない。僕からしてみれば一方通行の想いに接吻という終止符を打つのはどこまでも残酷で、幸福とは真逆の感情を生み出すだけはないか、と思う。
それでも、僕を見上げる可愛らしい瞳は揺るがない。以前にも、こういうことがあった。
高校に入って、しばらくしてからの事だったと思う。その時も同じように好きだと告げられ、断ったら「せめて抱いて欲しい」と、衝撃的なことを言われたのだ。
どれだけ断っても折れてくれなくて、結果としては“セックス”をした。けれど僕がそういうことをしたのは、今のところその子との一回きり。虎を除いては。何も生まれないと分かっていたけれど、何の感情も無いその行為は、想像以上に僕を虚しくさせた。
「……僕は、そうは思わないけど」
だから、決めていた。
自分に気持ちがないのに、相手を舞い上がらせる様な事はしない、と。だから僕は、虎としかそういう事をしない。したいとも、思わない。
それは虎に、伝わっていないけれど。
「……でも…」
「好きな人、いるよ。その人を裏切りたくないし、君を、傷つけたくもない」
揺るがない。
吸いこまれそうなアーモンド色の目に、捕らえられる。それでもまだ、彼女は理解を示さない。
「……分かった。じゃあ、目、閉じて」
キスなんてするつもりはない。
けれどそっと、肩に片手を置き、もう片方は頬に。するりとそこを撫でて、指をさくらんぼ色の小さな唇に…
『ダンッッ!』
当てるはずだった。僕の行動を遮る、その音が響かなかったら。びくりと震えた女の子の肩に僕はゆっくりと手を下ろし、低く鈍い音の聞こえた方を、振り返った。
「愛嬌、くん…」
そこには、柱に拳をぶつけた虎がいた。
きっと勘違いしてる、そう思ったけれど今この場で弁解するべきかと一瞬迷い、その間に選択肢は失われてしまった。虎が歩み寄る。
かなりの大股で僕に近づき、手を掴むと踵を返して校舎へ引き戻された。背後で気まずそうな女の子の声が聞こえた気がしたけど、振り向くことは許されなかった。
「虎っ、ちょっと待って」
やっと自由を許されたのは、四階の使われていない相談室だった。そこまで階段をかけ上がって、息は恐ろしいくらい切れていた。
「は、ぁ…は…」
「蓮。なに考えてるわけ」
「え?…はぁ」
「いつから」
「なに、ちょっと…待って」
虎が怒ってくれた。らしくない、正しくないことをしようとした僕を。ただの苛つきでも、嫉妬でも、なんでもいい。僕に感情を剥き出しにしてくれたことが、少しだけ、嬉しいと思った。
「いつからそんな安い奴になったんだよ」
でも、ちくりと、何かが胸に突き刺さる。
「……は」
「そうだよな、蓮、俺の事も簡単に受け入れるもんな」
「ちがっ」
簡単に、受け入れる?
それは好きだからだ。虎がそれを、拒否したくせに…僕は虎以外、受け入れてなんかいないのに…
『ガタン』
「っい…た」
無理矢理掴まれた肩を壁に押さえつけられて、一瞬息が止まった。けれどそんなことおかまいなしで、虎は僕の唇を噛んだ。
「いっ!!と、ら…」
噛まれた場所からじわりと血の味が広がる。その中に虎の舌が侵入してくる。ぬるりと、嫌な感覚にぞわりと背中が震えた。そんな、痛みに堪える僕を嘲笑うように、虎の手がベルトを外す。
「っ虎!…んん」
呆気なく外されたそれは、簡単に虎の手が入り込むことを許した。
「後ろ向け」
「っや…嫌!虎!!」
ぐるりと体の向きを変えられて、目の前には冷たい壁と、無数の落書き。誰かの声が甦る。“虎は正面から抱かない”でも僕のことはちゃんと、抱き締めてくれてた。それなのに…
「ほら、簡単に入る、ぞ」
「っ!!たぁ…」
無理矢理突っ込まれた指は、いつも優しく僕に触れる手なんだろうか…まるで別物だった。慣らす事もしないで遠慮なく乱暴に、僕の中を掻き回して、痛みに眉が寄る。
「抜いて…虎、痛い…よ」
キリキリと痛むそこ。どうしてこんなことになったのかと、考える余地も与えない。
「なんで…」
いつの間にか目から零れていた涙が、唇を濡らしていた。鉄と、塩が混ざった味は、酷く不味かった。
「なんで、こんな…」
「なんで?…蓮が、中途半端な人間だからだろ。ムカつくんだよ、お前のそういうところ」
「…ら、だって…」
「あ?」
ダメだ、言うな… 頭ではそう処理できているのに、口は勝手に動いていて。
「虎だって、平気でいろんな人を抱くくせに…僕、言ったよね?虎にちゃんと、好き、って…」
「だから蓮の好きは違うだろ。誰にでも良い顔して、ほんと、殺したいくらい苛つく。いい加減気づけよ。傷つけないようにする、それ自体が相手を傷つけてるって」
「何が、分かるの?僕の気持ち、ちゃんと聞こうともしないで…好きだよ、虎。でも…こんなの嫌だ」
情けない声に、余計泣きたくなった。
「信じなかったのは虎なのに…虎は良くて僕はダメって?虎は体さえ開けば、誰でもいいんじゃないの。別に僕じゃなくたって、誰でも…そういうの」
言うな、言ってはいけない。でも、こんなにも感情的になったのは初めてで、抑え方が分からない。頭ごなしに僕の気持ちを否定する虎にも、自分のその気持ちを上手に伝えられないことにも、腹が立つ。
ああ、僕は怒っているのか、そう気付いたときにはもう遅かった。
“汚いよ”と、ガタガタと震える声が、そんな言葉を落としていた。離れた虎の体温に、恐る恐る振り返る。
「っ」
「もういい、もう…」
今まで見たこともないくらい、酷く傷ついた虎の顔があった。その痛々しい顔は僕を責めていた。怒っているのは自分なのに、それでもすぐに訂正や謝罪の言葉を述べるべきなのに、それが出来ない。喉に声が引っ掛かって、心臓がうるさくて。
虎は整った顔を歪ませて、小さく頭を傾けた。
「蓮、終わりにしよう」
それを直視できなくなって、虎の言葉を聞きたくなくて、僕は逃げ出した。
世間はクリスマスに浮かれているのに、僕は大事なものを傷つけて、大切な人を突き放した。虎はきっと僕を許さない。虎が好きだと言ってくれていた“僕”は、虎を軽蔑するような事は言わない。
どうしてもっと、伝える努力をしなかったのだろうか。虎が傷つくから、そんなのは言い訳にもならない。伝わらないことが怖いから言えなかっただけなのだ。噛まれた唇より、無理矢理開かれた体より、胸が痛くて、痛くて、苦しくて、涙腺が壊れたように涙が零れ落ちた。
僕はこんなも、虎が好きなのに。
ねえ、好き、すきだよ
(もう今更、伝えられない)
(きっとまた、伝わらない)
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