Tiger x Lotus | ナノ

01 

最初に蓮を抱いたのは夏だった。
鬱陶しい蝉の鳴き声を背に、俺は告白していた。全然、計画的なものではない、とにかく蓮を自分のものにしたい、その一心で強引に事に及んだ告白だった。

「あー…」

「温度下げすぎだよ」

夏休み、自分の部屋。蓮はエアコンのリモコンをポチポチと操作してから、雑に置かれたローテーブルに向き直った。そこには“夏期休暇課題”の文字が印刷された分厚いプリントの束。見るだけで嫌になるそれを、蓮は糞真面目にやり始めた。

「ほら、虎。わざわざ来たんだから真面目にやって」

「……」

高校生初めての夏休みも、既に半分以上過ぎていた。全く手を付けていない課題の存在を知った蓮は、頼んでもいないのにこうして俺の部屋にやって来た。ムカつきはしない。好きな人と一緒に居られるだけで、喜ばしいことなのだから。

「手伝うから」

自分のは終わったのかよ、と嫌みを言うまでもなく、蓮は俺の課題を進める。きっと、英語だ。その背中を、ベッドの上に寝転んだまましばらく見つめていた。

「とーら」

不意に振り向かれて、視線が絡まる。
ずっと、好きだった。

「どうかした?」

優しい目付きとか、丁寧な喋り方とか、自分より他人優先のお人好しなところとか、真面目なところとか、全部。物心付いたときにはもう好きだった。でも、蓮は…優しすぎるから。

「なんでもない」

重い体を起こして、蓮の隣に座るとやはり蓮の手元には英語の課題があった。

「虎、英語は得意でしょ。ほら、僕いるうちに数学やりなよ」

「……」

自分で言うのもあれだけど、自分は頭が悪いとは思わない。むしろそれなりに出来る方だ、とも。暗記するのは得意だし、文章を読んで答えるのも難しくない。けれど、数学や作文のように、自分で考えて答えを出したり書き綴るのは好きじゃない。面倒だ。数学に関しては公式を覚えていても、数式を解く気にはならない。
それをわかっていて、やれと言っているのだろう。

「はい、ペン持って」

変わらない。赤ん坊の頃からの仲で、蓮がこうして世話を焼くのも当たり前の光景で。お互い親は共働きだから蓮がご飯を作ってくれて一緒に食べるのも、ついでだからと弁当まで作ってくれるのも、定着するのはすぐだった。きっと蓮は、自分がいなくちゃ俺がダメになる、と思ってるに違いない。
毎朝起こしに来て、身の回りの世話をして、俺はそれに頼りきっているから。頼らなければ何も出来ないなど、本気で言いはしない。せめて、なのだ。俺が頼っていれば、蓮は傍にいる、だから、俺は蓮なしじゃ生きられないような態度をとる。

『ヴーヴー…』

安っぽいテーブルの上で震えたのは、蓮の携帯だった。表示された名前は少し距離があって確認できなかったけれど、蓮はなんでもない顔で「もしもし、どうしたの」と、ひどく優しい声で答えた。

相手の声は聞こえない。が、「あー…ごめん、今はちょっと…」と、蓮が言葉を濁した。それはおそらく、何かの誘い。誰かの、誘い。俺の方をみて眉を下げた蓮は、困ったように笑う。内容なんて興味ないけれど、絶対、行かせたくないなと思った。

「…えっ?」

そんな俺を嘲笑うように、蓮は突然焦ったような声を出して腰を浮かせた。蓮を追う自分の視線が持ち上がる。

「わ、わかった。じゃあ…」

通話を終えるボタンを押しながら、蓮は完全に立ち上がっていた。そして、申し訳なさそうに顔の前で手を合わせ「ちょっとだけ出てくる」と言った。すぐに戻るから、と付け足して。ドアの向こうへいってしまった背中は止める間もなかった。引き留めたかったとため息をついてペンを机に転がすと、カラン、とお茶の入ったグラスにぶつかってしまった。

蓮がいなければやる気などおきない。居てもおきないのだからなおさら。ああ、今のうちに温度を下げよう。そう思い付いて、ベッドサイドに置き去りにされたリモコンを掴む。同時に、声が聞こえた気がして動きを止める。
蝉の鳴き声と、エアコンの唸る音の隙間、それは窓の向こうから聞こえた。 本当は聞こえてなんかいなかったかもしれない。ただなんとなくそれが、蓮の声みたいだ、と感じただけで。

そっと、窓の外を見る。
向かいの家に、変わった様子はない。ただ、向かいの家と自分の家の間、黒いアスファルトに浮かぶ人影が、揺れた。蓮の柔らかそうな髪と、その正面に見慣れない長い髪。それが女の子で、蓮に何かプレゼントを差し出していて、顔が見えない代わりに旋毛が見えているのは、深く頭を下げているからだった。
蓮は受け取らないと言う意か、両手を小さく振っていた。けれど、強引に押し付けられた何かは、彼女の手から離れ、蓮の背中の影に消えた。そのまま、知らない女の子は走り去って、蓮は小さく首を傾げながら、うちに入ってきた。

トン、トン、と小気味良く階段を上がってくる音が、脳みそに響く。

『ガチャ』

「あ、もうサボってるの」

「…」

「虎?」

「早かったな」

「え、あ…うん。…これ、水野さんがわざわざ届けに来てくれてて」

そう言って蓮は、淡いピンク色の紙袋をこちらに向けた。その中身が何か、水野さんが誰なのか、そんなことはどうでもいい。

「…へぇ」

「マドレーヌなんだって。焼きたてが美味しいからって…何か飲み物ある?持ってくるから休憩…」

気にくわないのは、このくそ暑い中わざわざ家の前まで届けに来たこと。そして直前で連絡して、出て来ざるを得ないようにしたこと。
俺は作り笑いを浮かべながら喋る蓮を遮るように、彼の正面まで歩み寄った。

「虎?」

「それで」

「それ、で?」

ダメだ、やめろ。
焦る思考とは裏腹に、体は冷静に蓮を壁へ追い詰めていた。俺を見上げる蓮に、警戒心はない。“幼馴染み”という関係だからか。

「尻尾振って受け取ったのかよ」

こんなのは、日常茶飯事じゃないか。蓮は男女関係なく優しいし、誰からも信頼されていて、こうやって女の子に好意を寄せられることなんて珍しくない。その好意に、蓮は中途半端な気持ちで答えないことはわかっている。頭ではちゃんと、そう処理できているのに…諦めろと、傷つける断り方が出来ない蓮の残酷さに、腹が立つ。優しく丁寧に断れるならそれに越したことはない。でも、蓮の振り方は…

「なぁ、蓮」

蓮の後頭部と背中は、もう壁だ。その顔の横に手を付いて、更に距離を縮める。足元に、“水野”さんから受け取った紙袋が落ちる。すぐそこで聞こえたはずの音が、なぜか遠くからのものに感じた。

「俺、」

“蓮が好き、だ”
口にしてしまえば、あとはもうそのまま自分の欲望に従うだけだった。柔らかく唇を重ねた、その時初めて“キス”というものを経験した。可笑しな話だ。それまで平気で、他の人間とセックスをしていたというのに。キスだけは、その時初めてしたのだ。

「と、ら…僕も、虎が…」

“好きだよ”蓮のその言葉に、すべて壊された。蓮の好きと俺の好きは別物で、けれど蓮は俺を受け入れた。怖いのか、一番の友人が、拒否することで自分から離れていくのが。俺はそんな蓮の優しさに漬け込んで、無理矢理体を繋げた。

あとはもう簡単だった。
蓮を抱いてしまった所為か、それからは誰を抱いても満たされなくなっていた。 蓮と体を重ねるほどに、それは確実なものになっていく。そして、蓮以外に自分の体は反応しなくなった。それまで、蓮には恋人もいたりしたし、そういう経験だってあったと思う。なのに、その日のほんの些細な出来事の所為で、俺と蓮の間に築き上げられた“大事な幼馴染み”という絆は壊され、レッテルは剥がされた。

限界だったのだ。蓮が好きで、とにかく好きで、でも言えなくて、なのに誰より近くで俺の横で俺を見てくれるから。もういい加減、壊したかったのかもしれない。

俺以外見ないで、俺以外に微笑まないでと、純粋なはずの気持ちが歪んだ形で型どられた。

「蓮、好き」

愛してる、なんて、安っぽい言葉だ。しかしそれ以上の愛情表現を俺は知らない。そのもどかしさを抱いたあの夏の日。季節はもう冬を迎えるのに、何故かそんなことを、思い出していた。


生まれたものは簡単に募って
溢れて、そして壊れるのだ。
(壊したのは自分)
(でも原因は、蓮だ)



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